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さて先日、大塚英志さんの「憲法力--いかに政治のことばを取り戻すか」(角川oneテーマ21)を読み終えました。
「憲法力」とは、言葉の力を大切にし、自分という「固有の立場」を踏まえ、「他者」と交渉していく能力だ、と大塚さんはいいます。
そして、「ことばを信じることは第9条を信じること」という節で、次のようなことを述べていらっしゃいます。少し長いのですが、該当箇所を全文引用させていただきます。
「ことば」をもって他者と介す、そういうツールとしての「ことば」をとり戻さないといけないわけです。
例えば、北朝鮮もまたことばかぶりょうかという選択の中で、武力を選択してしまったという一点において、間違った選択をした国家なのだと言えるかもしれない。しかも、その間違った選択は、アメリカがしている選択でもあるのです。
戦後の日本がもし第九条を真面目に生きていれば、彼らの誤った選択に対して、ことばでコミットする選択がありえたわけです。だから、今ここで第九条を変えて、言葉を信じるぎりぎりの選択の余地を放棄して彼らの、つまり「ことば」を信じない側の戦列に加わることは、ことばに対する最後の拠点になる「第九条」を、最後の最後でまた否定してしまう行為になるわけです。
だから今こそぼくたちは自分たちの「ことば」の立て直しの根拠を第九条においてみるべきなのです。第九条を前提に外交を行うという理想主義をもう一回復興する選択肢が、実は戦後の日本社会の最後の選択肢としてあるということを考えた上で、第九条を否定する改憲論にも臨むべきだと思います。(「憲法力」 211~212頁)
ぼくはかねてから、「争いごとを武力ではなく粘り強い話し合いによって解決することを世界に宣言した憲法第九条は、平和や外交の問題だけではなく、人と人の関わり合い、社会関係や人間関係においても、大切な理念であり行動の指針だ」と考えてきました。
だから、大塚さんの「ことば」によって理路整然と述べられた引用箇所は、「共感が広がった」という心地よい感動を得ることができました。
世界に一人しかいない「自分」を大切にするからこそ、同じように、世界に一人しかいない、「他者」を尊重し大切にするーーーだれもがかけがえのない存在だ、と思えるためには、「違い」と「一致すること」をことばによって、明らかにし、一致することを認め合い、育てあう、「違う」ことについては、なぜ違うのかを話し合い、決して否定し合わない。
そうした積み重ねの中で、「これだけは大切なことだよね」とみんなが一致して共有できることが生まれる。十分な話し合いによって得た結論だからこそ、みんなで一致した問題を前向きに育てる気持ちが持続する。
ちょっと抽象的ですが、「憲法九条を生かす」とは、そういう人間の力のあわせあいの基本となるものだと思うのです。
そのためにも、自分の考えを伝える、「ことば」というものに、もっともっと敏感にならなければならない。
情報の発信者の端くれとして、そのことの重要性をかみしめた一冊でした。
憲法力―いかに政治のことばを取り戻すか (角川oneテーマ21)/大塚 英志
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