明治の警察は立派だった   警察、公務員に告ぐ! 邏卒割腹 | 『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。

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従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

警察、公務員に告ぐ!
明治の警察は立派だった                                    
邏卒割腹


 鹿児島県警で相次いでいる不祥事が、警察組織への国民の信頼を根幹から揺るがしている。
中でも、生活安全部長経験者という、都道府県警の最高幹部にまで上り詰めた人物が内部情報を漏えいして逮捕された事件は、
警察組織内にも大きな衝撃を与えた。一般企業で言えば「役員」に当たるポストで、階級社会による厳格なピラミッド構造をつくる警察組織の最上部に位置する。

 しかし、最近では鹿児島以外でも、同様の地元県警採用の最高幹部が逮捕や書類送検される異常事態が続いており、地方警察のガバナンス崩壊が目立つ。背景として、内閣官房などの中央ポストに人材を取られる警察庁キャリアが、
近年は地方警察の枢要ポストを経験できなくなっていることを指摘する声も上がる。地方軽視のツケは、警察そのものの崩壊を招きかねない事態に発展している。
こうした警察の怠慢、無能、無責任、隠蔽体質 自浄作用欠如には国民は倦んでいる。
更に検察の不祥事や冤罪の捏造も目に余る状況が続いて、一体日本の司法は大丈夫なのか。
公正であるべき司法、正義の砦は砂上の楼閣だったのか。

さらに、国民の最後の正義の拠り所である裁判所は『自動逮捕状発券機』と化し『自動保釈申請却下機』になり下がり、
あろうことか体制べったりの『冤罪増産所』となっている。
過日ある裁判官は「検察が嘘をつくとは思っても居なかった」と全く、人間の情も想像力もない木偶の棒だったことを晒した。
警察、検察、裁判は「国民不法逮捕冤罪増産」の談合機関でしかない。この司法機関は恥を知れ!!

 以前、大阪府警管内で凶悪犯人を留置所から逃がすという大失態があった。
大阪や兵庫は昔から、所謂「不祥事」の多い地域である。
3000人態勢で私服のデコスケ(刑事)まで動員しての大捜索だった。何しろ警察の威信とやらが掛かっているから必死だろう。
たるみきって、士気の弛緩した組織では良くある現象である。犯人は後に捕まったが、警察の常で、誰も責任は取らなかった。

 昔、やくざの友人の妻が曽根崎署の若い警官と不倫関係になったことがある。友人は妻に相手を吐かせて、当人の処に落とし前を付けて慰謝料を取り、詫び状も書かせた。
しかしその後、妻も、警官も隠れて関係している様子。
これに業を煮やした私が「桜の代紋に舐められては男が立たんだろう」とけしかけたものだから、曽根崎新地で飲んで酔っ払うと、何時も署に怒鳴り込んでいた。
「〇〇巡査、俺の女を返せっ、マメドロボー、署長をだせっ」と、酔うたびに怒鳴り込むものだから、署員も閉口したらしい。
勿論署長や偉いさんが出て来る筈もないが、その後この不祥事は、知らぬ顔の半兵衛を決め込んで、もみ消したらしい。


 さて、現今の日本の警察に限らず、公務員の状況は、弱士懦夫らが、金を至上のものとして豪奢淫蕩の暮らしを貪っている。
この軟弱軽佻の気風を一変せねばならない。それには質素倹約を旨とし、茅屋破壁の内に公務を弁ずる覚悟が必要である。
手元に此処二年程の官僚、役人、地方公務員の収賄、官々接待等いわゆる官業癒着事件の新聞記事のスクラップがある。
あるは、あるは、恥を忍んでインターネットで世界に公表したくもなる。
中国の役人の腐敗も酷いらしいが、日本も負けていない。
ここで一々UPする気力はないし、何より他人のケツを拭くようでナエる。


 それにしても小役人共はよ~やってくれる。
公僕、奉仕どころか、タカリの腐水にどっぷり浸かり、この風潮は上は霞ヶ関から地方町村のこっぱ役人まで蔓延している。
国民の生き血を吸う蛭の様な存在に堕落している。この連中一掃するか、制度を変えねば日本は危うい。
そして何より腹立たしいのは、悪事が露見しても責任をとらぬことである。
「みんなやってるのに、何で俺だけ?」と居直る。

立法腐(立法府)の陣笠政治屋たちも同じ穴のムジナで、改革とは念仏。
あいも変わらず、永田町田舎芝居の大熱演。
国民シラケて選挙に行かない。そして落ちたのに、落選議員救済制度でゾンビぞろぞろ。日本はいよいよ、来る所まで来たようだ。

<人間は権力を持つ立場になれば、悪いことをする>
という前提で仕掛けを作る必要がある。人間性悪論である。
それでも人間は弱いから悪事は働く。次の仕掛けとして厳罰に処す。

当面日本は”ガラガラポン”とはゆかないようなので、良い国になるまでのツナギとして厳罰主義を提案する。
もし、この一文を読んでいる、国会議員が居たら以下を参考にして頂き、議員立法をするべきである。
しかし、現在と違い、明治時代には「気骨」のある人間がいたのである。

 

    明治時代の警察



明治元年七月十七日、江戸が東京府に改名されると共に八丁堀の町奉行の代わりに、官軍の各藩から供出された藩兵が府内取り締まりに当たった。

しかし戦勝官軍気分で市民に乱暴狼藉の時代が続いた。
西郷隆盛は駐フランス公使、栗本鋤雲から、パリ警察の組織運営方法の報告を受け取ると、明治四年十月二十三日、日本も近代警察国家にすべく羅卒制度を発布した。

定員を三千人と定め、当時の東京府は天保時代より四割減って人口が八十一万三千五百人だった。つまり家屋は二十四万四十三戸だったから、羅卒一人で八百戸を受け持つ割合だった。
三千人の内二千は西郷の命令で旧薩摩藩士や郷士を当て、他の千名だけが、西軍(官軍)側の他藩士の割合だった。
総長、差添役、取締役組頭、小頭、組子の順で、紺ラシャの制服で袖口に赤筋をつけて府中の取り締まりに当たった。
【職責怠慢の場合は直ちに割腹。過失ありたる時は出家し坊主となること。絶対に飲酒は致さざる事】 

羅卒達は上記の誓約書を提出して勤務に就いていた。
明治六年、本所相生町番所の松岡某とよぶ羅卒は、抜き身をひっさげた強盗を取り逃がしたのを、見回りに来たのちの大警部、園田安賢に見つかって、
「羅卒道にもとる行為である。即刻この場で自刃すべし」と言われれば、
「士族として、失態で御座った。御免そうらえ」と松岡はフランネルのシャツをひろげ、「見事に責任とってお詫びしまする」と潔く自決した記録が残っている。
園田は有名になり明治二十四年には、第八代警視総監となっておおいに人心を安定させ警察の威信を示した。この園田は飲酒には非常に厳しく、
「五節句の許可日以外に酒禁を犯す者は苦役五日、泥酔放歌する者は同十日。飲酒し虚言をもつて欺かんとするは同十五日」
後に減俸処分に変えはしたが、それでも徹底的に取り締まった。
明治六年の「自警」の誌上には、芝御成門の署長にあたる津川第二大区長の送別会で、芸妓を料亭に呼んだのが発覚した。
津川は即、免職処分、出席者全員階級を一等ずつ降下。最下位の四等巡査は下げようがないから免職とした。
人民を取り締まるからには、先ず己からというので、極めて公平に明治の官憲は 規律正しく罰則が重かったのである。


さて、
日本の公務員数は400万人である。国家公務員100万人、地方公務員300万人。
 仮に公務員1人当たりの人件費を年間1000万円と仮定すると次の不等号式が成り立つ。
 1000万円×400万人=40兆円 > 日本の歳入(赤字国債を除く)40兆円弱
 公務員1人当たりの人件費を年間1000万円は多すぎると思われる人がいるかもしれないが、
公務員のOBに共済年金の赤字に補填される税金が年間1兆円以上あることや、表にでない多額のお手当て等を考えると決して多い金額ではない。
 
一方、民間企業の人件費(当然会社負担の社会保険料や福利厚生費を含めたもの)と比較すると給与の1.3倍位になる。
 公務員の場合は民間企業をはるかに超える倍率になる。外務省の外交官の人件費は海外赴任諸手当を含めると給与の何倍にもなる。 日本は企業だったら人件費倒産状態である。
 日本の巨額赤字の一つは公務員の人件費にあると考えられる。

考えてみると日本の巨額赤字の大きな原因の公共投資は、民間への天下り公務員の給与や民間企業での高待遇確保を目的としたものが殆どである。
また、公益法人等への巨額の補助金は公務員から天下りした理事等の給与や高待遇確保を目的としたものである。

官僚、役人(国、地方の公務員全て)は
◎国民国家地方自治体の為にならないことをした場合、全て首。
◎内容によっては損害賠償する。
◎天下りは全て禁止。本人も受け入れた企業も罰則。


さらに、地方議員の政務活動費の問題も騒がれている昨今、この政務活動費の全廃を提案する。
そして給料も全廃し、全ての議員はボランテァとし、兼業を認め、議会は土日に開催し、
必要経費は「市民審査会」が審査の結果、正当なものは事後に支払う。

これでは、金持ちしか立候補できないとか、議員の生活ができないと言う意見があるが、寝惚けたことを言わないでもらいたい。
「それでも市町村のために働きたい」という人間は幾らでも居るし、そうした人たちが立候補するべきである。
こうすれば議会にかかる経費は大幅に削減でき、幼稚園、保育園の拡充に廻し、安心して子供を生めるし人口減の歯止めにもなるだろう。

最後に、マスコミや評論家、巷でも良く聞く言葉がある。
「彼らは基本的には真面目に、一生懸命仕事をしている」と。
しかし、一寸待って欲しい。
これは当たり前、当然の行動ではないか。民間のサラリーマンと比べた場合、その過酷さや厳しさは雲泥の差である。
遅れず、休まず、仕事せずの三無し公務員や役人共に、甘ったれた言葉をかけるのは間違い。
こういう与太話が広く世間に流布していると言う事は、彼らにその体質が滲み込んでいると言う事に他ならない。
これを少し解説すると、

休まず・・・・彼らには土日祝祭日の他、有給休暇も充実している。だから普段は滅多な事で休む必要はない。
       従って休まずに仕事をしている振りをしていれば、出世も出来る。

遅れず・・・・これも休まずと同じく、規則通り、四角張った役人体質の悪しき美徳なのである。

仕事せず・・仕事とは元来自分で造りこなして行くものなのだが、上司に言われたことしかしない、
       上司の顔色を伺い、上司の要求に沿った仕事しかしない「平目人間」のこと。
だから、国民の血を吸って生きる輩には、厳しく律するべきなのである。