酒よ!! 酒の蘊蓄 | 『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。

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従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

酒よ!!
酒の蘊蓄

 男が、タフに生きていくためには、時々何かに酔わなくてはならぬことがある。
何だろうと酩酊というのはその瞬間は人間を助けてくれるものである。
自己陶酔、自惚れだってそうだ。傍から見れば滑稽に見えるかも知れないが、当人は結構それで救われることもある。
しかしなんといっても一番の手立ては酒だろう。

世界中でドラックの金銭的、肉体的被害、さらに社会的損失といえば、これは天文学的なものだろう。その為アメリカは麻薬撲滅作戦に「麻薬取締局」、
メキシコは軍隊の専門部署まで設置し、膨大な人員と予算を注ぎ込んでいる。それでも麻薬がらみの犯罪や事故は後を絶たない。
一方、「酒は百薬の長」とはいうが、酒にまつわる、酒を飲まなければ起きえない病気、事件事故、犯罪の方が麻薬より何十倍も多い現実がある。

だから、禁酒法を作れなどという野暮は言わないが、酒に酔うというのは一種の現実逃避かも知れないが、一時だけ嫌なことを忘れるというのは、有り難いことである。それが次への活力にもなるのだから。
別にとりたてて嫌なことがなくても、酒を飲んで気分が変わるだけで人間というのは新しい気力が湧いてくるものだ。人間というのは他人との関わりなしで生きてはいけない動物だから。
とにかくアルコールの魅力というのは不思議なものである。
  ということは、酒はまさに麻薬以上の危険な飲み物ということだろうが、要は飲んでも、酒に飲まれぬということで 芯の弱い人間は酒に飲まれる。
かくいう私の酒歴は長い。子供の頃から親父の晩酌用の清酒、泡盛、ウイスキーを隠れて盗み呑みしていた。
始めて土器に入っている泡盛をラッパ飲みした時の状態を想いだす。口中に広がる甘辛い味が胃の腑を焼き、強烈な酔いが全身を駆け巡った。二階の陽だまり縁側に寝そべり、酒の酩酊感をしたたかに感じたのは小学校三年だった。由来この年までの酒との付き合いを続けている。

十八歳当時、煙草は両切りのピースの甘い香りにしびれ、強烈な香りのドイツ煙草の、ゲルペ・ゾルテなんかもよく吸った。酒もスコッチのオールドパーが一番だと思っていた。
しかし、当時よく行っていた横浜ニューグランドホテルのバーテンダーに「お兄さん、スコッチばかりがウイスキーじゃござんせんよ」と、勧められたのがアイリッシュウイスキーの「タラモア・デュー」で、その芳醇な深い味に病みつきとなり、今も愛飲している。さらに、「カクテルなんか女子供の甘酒の類だ」と馬鹿にしていたが、ドライマテーニを始めて飲んだ時この酒の奥深さに脱帽した。

カクテルというのはある意味では「物を混ぜる」という優れた文化の象徴の一つである。だから優れたバーテッダーは懸命に新しいカクテルを工夫したり、スタンダードなカクテルでも自分なりに上手く作ろうと心がける。
以来、このホテルのバーテンには世界の酒の様々な歴史や逸話を教えてもらったもので感謝している。

会社勤めの頃は、出世競争に我身をすり減らす男たちと、華麗な虹を夢見たり、暗黒の深淵を覗き見しながら緊張の果てに辿り着く酒と女のネオンの夜。
呑み荒れた舌になお酔いながら、荒廃の日々から得たものは仕事への決意だった。    

絡み酒という最低の酔い方があるが、これも酔いにより、何時もは抑えられている不平、不満が爆発するからである。
だから、劣等感にさいなまれ、他の人間が腹立たしくなり、誰にでも絡み始めるのである。
 理性で抑えていた、人間の感情を酔いが解放するのだろうが、神経が、解放された感情にだけ集中してしまう、という危険性が強い。さらに、威張り酒というのもある。
先日も飛行機の中で威張りちらし、歌手の吉幾三に指摘され問題になった長谷川岳という陣笠代議士が居た。
この男、道庁や札幌市職員を私的に顎でこき使っていたようだが、素面(しらふ)で威張るのだから、権力と権威をはき違えている馬鹿。だから酒というやつは、自分を愉快にするとは限らないのだ。
 酒を飲んで威張り出す奴は、これも欲求不満型で、酔わない時は威張りたくても、気が弱かったり、理性が作用して威張れないのである。酔いのせいで威張るのだが、所詮、本当の実力がないから、酔って威張りながらも、そんな自分を苦々しく思っている部分がある筈だ。だから、威張っていても、そんなに楽しくはないだろう。

さて、万葉集は、人間の感情を赤裸々に脉んだ歌集である。
有名な万葉歌人、大伴旅人は酒を讃むる歌十三首を詠んでいる。讃(ほ)むる、というより酒についての歌である。その中に次のような歌がある。
  
「世のなかの 遊びの道にすずしくは 酔泣きするに あるべかるらし」
 どういう意味かというと、世の中の遊びの道のすさまじさは、酔って泣くことではなかろうか、というのである。これは私の解釈だが、酔い泣き、ということが、如何に荒涼として
無残なものであるかを、筑紫大宰帥大伴旅人は知っていたのである。鬱屈を酒で紛らわすほど虚しいものはないことは、現代も古代も変りはない。
 

1910年代にニューヨークで生まれたマティーニは、元々はジンに「スイートベルモット」と呼ばれるハーブやスパイスの風味がつけられたワインを加えた甘口のカクテルだった。
しかし時を経て、現在はジンに「ドライベルモット」と呼ばれる、辛口(ドライ)のワインを加えた辛口のカクテルに変化した、歴史のあるカクテル。