自 殺 の考察 赤城さんの自殺は無念だった | 『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。

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従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

 


         自 殺 の考察

 赤城さんの自殺は無念だった

先頃、元財務省職員が自殺し、その遺書を公開してご家族が国と佐川前局長を相手取って裁判を起こした。
 森友問題が2017年、国会で追及されるさなか、赤木さんは文書の改ざんを命じられ、妻に「内閣が吹っ飛ぶようなことを命じられた」と打ち明けていた。
同年7月にはうつ病と診断され、仕事に行けなくなり、「検察がいる」「僕は犯罪者や」などと繰り返し、18年3月に命を絶った。
また、週刊文春四月二日号には、
財務省の森友担当の、赤城さんの上司は、赤城さんが遺した決裁文書改竄の経緯を克明に記したファイルの存在を明かしたという。
そのファイルは、この上司と赤城さんが相談の上、検察に出したが、大阪地検特捜部は、佐川元理財局長を始め三十八人全員を不起訴にした。握りつぶしたのである。

 

 

不遜なことを言うようだが、私なら「自殺」はしない。財務省と佐川前局長を膺懲するため孤軍奮闘になるとも戦う。
この問題を放置しておけば同じような事が起こる。結局はもみ消される公算は大きいが、世間に公表して世論を喚起することが大事なのである。従って、
全データをコピーし、全マスコミに送り、同時に全テレビ局に通告して記者会見し、国民の前に全てを曝け出す。
勿論、この行動によって、検察が動くとは限らないし、日本のマスコミが何処まで深堀するかも期待はできない。
代償は高くつくが、体制を相手の喧嘩だから、相手にとって不足はない。

この「自殺」という壮絶な行為についての考察をしてみたい。

自殺とは憤怒と悔しさを基底においた「抗議」の発露。

何か事件があって、その当事者が自殺をすると「死人に口なし」という安易なきめ手からして、まるで責任をとっての自決のように受け止める傾向が強い。
 つまり「死んで、お詫びをしました」というような解釈を、勝手に都合よくされてしまう事が多い。
「だけど、そんなことは滅多にない」と私はいいたい。他から、「死をもって償わされる」ことはあっても、自分から、死をもって償うような事が、はたしてあるのだろうか。私には信じられない。
自然死というのは、一個の物体が腐朽していったり、腐蝕、腐敗して消滅してしまう、単なる現象にすぎない。つまり雨樋がボロボロに錆びて孔があき、どさりと落ちてしまうのも、
人間の死も、それ程の大差はないようである。また事故死ときたら、これは偶発的な産物である。全然予期せずにいて、間違いで死んでしまうものなのだ。
いわばミルク瓶を手から滑り落させてガチヤンと、やってしまうようなものである。戦死も、やはり事故死に入るだろう。大砲弾にしろ、機関銃弾にしろ、向うが勝手に飛来してきて、
ドカンと当たってしまうからである。そりゃあ昔は「生還をきしません」などと言ったり「死んで御国の為に奉公してきます」と、勇壮ぶったことは口にして出征をしても、
それは覚悟というか「所信」といったような、その時に釀し出された感情にすぎない。そうでなかったら、出征した男子は全員玉砕してしまって、一人残らず未帰還になってしまう筈である。
しかし統計的にみれば、戦死の割合たるや、局地別には全滅の地域差はあっても、全体的には、動員された数に対してはいくら多くても、平均して一割を上廻った例はないのである。
これが世界的に見た平均値になっている。
つまり「勇躍、死地に赴いた」としても、どうしても必然的に戦闘死にあいそうな最前線に出されない限りは、そうむやみと、みな死んでしまうものではない。
 戦記物などでは極端に死屍るいるいたる情景も出てくるが、あれは部分的なものであって、一般の戦死というのは、まあ「災難」に該当するような死が殆どである。
だが、自殺は違う。


 これは間違って、あっと死んでしまうのでもなければ、腐敗菌にとりっかれて、カビがはえてゆくような、そんな死に方でもないのだ。
 つまり自殺とは、「死」という形式による、一つの「抗議」であるし、また「抗戦」そのものなのだ。
歴史上の事象で、たとえば、明智秀満が、講談本だと、狩野永徳描く墨絵の雲竜の陣羽織をなびかせつつ坂本城へ戻ると、味方として加勢にきていた連中を落してやる。
という事は、自分にだって逃げる意志があれば、いくらでも間にあうのに、それをしない。一緒に死ねる同行の者だけを残して、共に坂本城を爆発させて自殺行をはかる。
やはり壮烈な戦いの一種である。
 明智光秀が敗死したから、もう駄目だと、前途を悲観して、諦めをつけ死んだというのではない。又、妻の父の光秀に従って、自分も信長を殺し、世間を騒がせたから、
そのお詫びを、死の形式でとった訳のものでもない。あれは、秀吉に対する反抗精神、つまり最後の決戦なのだ。
口惜しいから、その存念をつらぬくため、死で挑戦するのである。というのは、もし生き長らえていたら、「信長殺しは、光秀であった」といった確認でもさせられるのは
目にみえていたから、「そんな馬鹿げたことが出来るか」というので、腹を切り、煙硝に火をつけ自殺するのである。
 つまり自分白身の意志に反したくないという決断が、絶対に妥協を許さない孤高の精神が、その人間自体の「自殺」という最後の抗戦になるのである。

 この翌年、賤ヶ岳合戦で破れた柴田勝家は、北の庄へ戻ると、やはり一族郎党を集め、落ちたい者は落し、自分は、腹を立て割りに切って、於市御前はじめ一党の者と共に自殺する。
これだって、何も合戦に勝利を失ったから、自暴自棄になって死ぬのではない。
 「秀吉という男への批難、抗議を、腹を割っても、俺は最後まで撤回しないぞ」という心意気をみせるのである。私だってやるだろう。
 於市御前だって、勝家が好きになって死なば諸共なんて甘ったるいムードではなく「口惜しさ」の存念を、秀吉にむけて、死をもって挑んでいるのである。
 近頃では「人間の生命は、山よりも重い。尊いものだ(極端なのは、地球より重い、という。目方をどうして計るのだろうか)」という風潮が盛んである。
またキリスト教が今日まで、自殺を禁じているのも周知のことである。つまり「自殺とは悪業である」という思想が相当に拡かっている。

 そして、これを、(そうされては保険金を払って損をする)生命保険協会ばかりでなく、一般も支持している。
 これは恐らく自分は「自殺などしない」と思っている人が多いからであろう。だがキリスト教で自殺を禁じたり、仏教で同じように弾圧しているのは、
それが植民地布教用のものだったからに他ならないのだ。機械文明が発達するまでは、原地人や輸入奴隷による労働しか、為政者や、それ取り巻くくブルジョアジーには、富の蓄積の手段がなかった。
だから搾取しなければならない人的資源が、抗議をするため自決をされては、その労働力の稼働に、甚大な影響があったからだ。

 アメリカの場合だって、せっかく一人いくらと金を払い、アフリカから買付けをしてきた黒人に、勝手に自殺されてしまっては、もとも子もない。
そこで、「……主に召される日まで」つまり老朽化して廃品になるまでは「働け、働け」と、ブルジョワジーをスポンサーにして、その寄附金によって運営されている教会の牧師は、
説教とし、彼らを教化したのである。だから、自殺という最後の手段まで、教義という名のもとに奪われた彼ら奴隷は、そのレジスタンスの名残りとして、今の「黒人霊歌」を残したり、
そのやるせない生きねばならぬ事への呪いとして、感覚を麻瘴させるジャズを産みだしたのである。必要は発明の母というが、これらは副産物。つまり自殺の代用品として、弘められてきたものでしかない。
 仏教の場合だって、坊主どもは檀那のために、使用人達が自殺をしたら「地獄へ行くぞ」と脅かしたものだ。
 さて……人間の行為の一つとして、泣くという状態がある。普通は観念的に、「悲しいから、泣く」とされている。

泪もろいと言うのか涙腺のしまりが悪くて、テレビをみていても泪をポロポロこぼす者もいる。私も、その一人である。だが、それは、あくまでも誘発的なものであって、
いわゆる貰い泣きの範疇に入る。これは、決して自発的な泣きには入らない。それでは、本人自体か「ウオッ、ワアッ」やるのは、いったい、どんな時かというと、
これは「悲しいから」というような事ではない。それは殆どの場合、「口惜しくてならず、泣く」のである。肉体の衝動的な抗議に、それは他ならない。
 そして自殺も、これと同じである。やはり「なき」の一つの極限状態なのである。

戦国時代、誠仁親王が、自分で命を始末された史実があった。しかしあれは何も悲しかったり、秀吉のいうように、悪い事をしたからというそんな自責の念にかられたからの結果ではない。絶対に違っていると言える。
「帝位を奪わんが為に、むちゃな言いがかりをつけてくる恐喝者秀吉」が「世間的には、金銀をまき、きわめて人気をとって、太閤さまと敬慕されている」その不条理に対し、
親王さまは、「口惜しくてならず、残念である」と歯がみをなさったあげく、哭きに泣かれ、そして、「信長殺しは、まったく関知せぬところである」と主張をなさるため、
死の抗議をもって、秀吉に挑戦されたのである。なにしろ、この時代の国家権力は秀吉そのものである。
親王さまと言えど、秀吉に対しては、それは弱者の立場でしかなかった。

 つまり権力に対して、弱い者が抗議する途としては、今も昔も、他に手段はないのである。ベトナムだって、仏教徒の弾圧に対しては、何人もの僧や尼が、ガソリンをかぶって焼身自殺をしている。
しかしあれをもって、贖罪の自決とみる者はあるまい。とは言え、あの状態は、抗議デモの先頭にたってやっているからこそ、自殺もまた、燃えるプラカードとして認められたのであって、
もし僧院や尼院の奥庭で、一人で火をつけて、ひっそり自殺したものなら「前途を悲観して」ぐらいにしか、扱われなかったかも知れない。
 終戦時に、阿南陸相たちが自決した。「敗戦の責任をとって、国民に謝罪した」ことにされている。だか、当人たちは、そんな事で自殺なんかできるものではない。
本土決戦」を叫び、その用意万端を整えているのに、勝手に終戦にされてしまった。癪にさわるから、死の抗議をしたまでである。

もちろん、自分の死後の家族のことも考え、それに都合の良いように、また、自分の死に共感を引くような「価値ある死」という精神のもとに「良く誤解されるような遺書」は表むき書かれて、残したかも知れない。
 だが自殺というものは、腹をたて、口惜しさに堪りかねて決行しなければ、完全に遂行できるものではない。あの時点で、宮城前広場で、集団自殺があった。
 「敗戦した国民の咎めを、死をもってお詫び申し上げた」ものとされている。嘘である。あれも、やはり死の抗議に他ならない。「憤りの死」なのである。
 つまりは「死んでお詫び」などというのは、ありていはフィクションの世界である。「三勝」が、他人の亭主の「半七」をさらって、永遠に独占してしまおうとするときに、
その残された妻の「お圖」への、気やすめの言いごとに過ぎない。つまりは浄瑠璃の世界である。
 世の中には、夫を殺してから自殺する妻もすくなくない。といって彼女らは、六法全書をひらき、刑法何条かの殺人罪の項目をみて、悪いことをしたと気がっき、
死んでお詫びをしますというのではない。「何故、殺さねばならなかったか」という必然性など、どうせ話したって、他人は判ってくれないだろうという肚だたしさ、
つまり口惜しさが判っているからこそ自殺するだけである。やはり「怒りの死」である。


 近頃は、入学試験の準備中や、その結果において自殺するのも多い。新聞記事では「ノイローゼ気味」だとか「失敗を悲観して」となっているが、あれだって、
決して、そんな観念的なものではない。あれは、あれで試験制度への抗議である。そうでなければ、思うように勉学できなかった周囲の環境への、せい一杯の口惜しさの爆発である。
    赤城さんの御冥福を祈る(合掌)。