▼NHK 堂々日本史の疑問▼ | 『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。

『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

(幕末日本に輸入された南軍の廃銃)
 

  ▼NHK 堂々日本史の疑問▼

 以前  NHKでは「堂々日本史」なる番組で日本史の断面を見せてくれていた。
 先日も、明治維新を、榎本艦隊と奥羽連合という視点から捉えて放映していた。
 全辺を見ている訳ではないので批評する資格は無いかもしれないが、
しかしどうも世界史と対比するグローバルな視点が欠けているように思える。
  (私は秘かに”堂々と臆面もなく通説俗説を放送する日本史”と呼んでいるが)

さて従来の幕末史解明は、勤皇の志士をスター扱いにするか、さもなくば一部の諸藩主の行動を帰納的に演繹するする方式、つまり個人的バイタリティーに依存する講談的論理しかなく、
肝腎な民衆を等閑視しているが、世界中何処へ行ったとて民衆の参加しない革命などありえない。
  NHKは大衆からの(視聴料)で成り立っているのに、大衆の側に立っての視点が欠落している。
  江戸末期、この時代は、米価にしろ、
 「安政三年越後米一斗四百八十文だつたのが、十年後の慶応二年には一斗につき四貫三百六十文と九倍に騰貴し、ご府内の小売値は百文につき米は二合、麦でも
三合と生計苦しくなり民は困窮す」と、  <江都評判記>に出ている程の悪性インフレの世の中だった。
そしてもう一つのグローバルな視点からの明治維新とは何だったのか?
 幕末戦というのは、当初は被圧迫階級の(神の民が)、その蓄積した金融資本に よって、政治体制を変革する目的で始めたものが、終局において薩長の西南勢力と東北勢力の武力衝突になった。
そしてこの原因はアメリカだった。
  『アメリカ建国史』によると、
  「一八六五年、つまり慶応元年、米国内の南北戦争が終結すると北軍は押収した南軍の武器弾薬が、密売商人の手によってインデアン居住区域に流れ込み、
アパッチ族を始め各地で反乱事件が勃発するのに手を焼き、慶応二年にアーノルドジョンソン大統領はこれを国外へ払い下げ、輸出する断固たる政策をとった。
 そこで この夥しい南軍の銃器が東は上海、西はポートサイドに野天積み同様に山積される状況を呈した」
  長崎へ行くと「歌劇お蝶婦人の遺跡」だと、尤もらしく案内されるグラバー邸があるが、この英人グラバーこそ、米国払い下げの上海の南軍の銃を、薩長に売りつけて大儲けした元凶なのである。
  さて、その英国が一八一五年のウィーン会議で占領したケープ地帯から追われ、 トランスバール共和国に移った和蘭人の中に、エドワード・スネルという男がいた。
  当時の日本駐在公使だった『ファン・ボルスブック回顧録』によると、
 反英精神にこり固まったスネルは「南阿の恨みを日本で」と考えたのか、ポートサイド方面に積んであった米国南軍の銃器を薩長とは反対に幕府に売った。
  大倉喜八郎が神田和泉橋で開いた店も、スネルの南軍の銃を仕入れて売っていた。
  やがてスネルは、長岡藩の河井継之助のために汽船をチャーターして新潟へ行き、そこから会津、仙台へと武器輸送をした。
双方にアメリカ南軍の廃銃がゆき渡り、それまで徳川家だけが独占輸入していた火薬も、グラバーやスネルによって入ってきたから、ここに日本列島も南北戦争を始めたのである。
  だが、本家のアメリカでは北軍が勝ったが、日本では反対に薩長の南軍の方が勝利を得た。
この結果、スネルは当時のアメリカ大統領グラントにこの責任をとり、 カリフォルニアに広大な土地を払い下げさせ、そこへ会津の婦女子を送りこんだのが「ワカマツ・コロニー」と呼ばれ明治の末まであった。
  しかしアメリカさえ南北戦争をしなかったら、日本列島はその廃物利用の銃器を押しつけられることなく、従って幕末戦争の惨禍は無かったのである。
  勿論歴史にIFはないが、想えばまこと、怨めしい話しである。

維新の動乱というと、上野戦争の天野八郎、会津の白虎隊、天童藩のからす組、 細谷十太夫といったように、個人的武勇伝ばかりが現時点では流布されているが、
 この日本南北戦争の実相は、これまで公表されていないが「偽金作りの戦争」だったのである。
  何しろかってのベトナム戦争では、南ベトナム政府軍に米国が武器供給するのも無料なら、北ベトナム軍に中国やソ連が兵器を送荷するのも贈与援助だったろうがこの当時は違っていた。
  照準も合わないようなシャーピス銃やミゲール銃を寄越しておいて、アメリカ人は仲買人のグラバーやスネルから、どんどん代金を巻き上げた。
(もう百五十年 遅く国内の南北戦争を始めたら、ベトナム政府軍と解放軍の戦いみたいに双方とも、新鋭兵器がロハで貰えたのに、等と考えてはいけない・・・・アメリカは
終戦後だって、無料だと家畜飼料の古いメリケン粉や脱脂乳をガリオア資金でよこしながら、後になると、当時の吉田茂首相を苛めて、その代金を日本国民の税金で徴集した。
  つまり廃物を押しつけて日本からゼニを取るのはアメリカの伝統商売らしい)

さて、この結果、正金をアメリカの南軍廃銃に吸い取られ、金欠病となった日本列島の両軍は何をしたかというと先ず「会津事情」掲載の、
「会津宰相にあげたたきものは、白木三方に九寸五分」という東北地方の俚謡を紹介する。
「朝敵となって錦旗に敵対した罪を、東北人は恐れおののき、その主君松平容保の自決まで求めたものである」と、この本の筆者は調子の良い注釈をつけているが、
  『会津戊辰戦争』によって調べると、
「松平容保は鳥羽伏見の敗戦にて江戸へ戻ると、江戸金座銀座の職方を纏めて会津へ伴い、若松城西出丸に製造所を設置して、従来の一分銀を打延して三等分し、
  これを二分金の鋳型に入れて金めっきをなした。だから一分銀が六倍の一両二分になり、制作費は一個九百文の割合で職方に出来高払いをした。
  尚私に製造したいと出願する者には、一割の運上金とって、これを公許した。
このため会津領を始め東北地方は物価が六倍から十倍になり、住民は塗炭の苦渋を味わわされた」とある。東北人が殿様に責任を取って腹を切れと、激昂したのが本当の話らしい。
  これに対して日本南軍はどうしたかというと、長州閥は京阪の鹿嶋屋や鴻池から調達したが、薩摩は堂々と偽貨をこしらえ、「官武通紀」第八巻にも、
  「薩州鹿児島にて(琉球通宝)なる新鋳のものを製造し、中川宮、近衛家をもって京摂の地にも流通さすべく禁裏へ預り出づ」と出ている。
薩摩製でありながら(琉球)と逃げているあたりは、南軍の方が知恵者揃いのようである。

  つまり、この戦争の実相たるや(グレシャムの法則)により勝敗がついたのである。
というのは、南軍は(琉球通宝)どころか「維新史料」によると、三岡公正の献策とことわって(引換一切これなく候)と、堂々と明記した紙幣を、
 四千八百九十七万三千九百余両もこしらえ、これをばらまいた。
北軍の会津では、お城の櫓でトッテンカンと一分銀をたたき延ばしてから、切断して四っに分け一つずつ巴焼をやくように金を被せ、これを油で揚げて固めた。
  だから明治、大正まで金めっきの事を「てんぷら」といった。しかし何しろこの「てんぷら」の方は、四個作って一両なのに、南軍では紙切れ一枚が一両である。
  まるで偽金作りのスケールが違いすぎる。それにどっちも偽金とはいえ、銀の入っている天ぷら金のほうより紙切れ一枚の方が悪貨に決まっている。そこで、
  「悪貨は良貨を駆逐する」の定義により、金めっきよりも始末の悪い紙の偽札の方がこの戦争の帰趨を決定してしまったのである。
これによって国民の蒙った惨状は全く「悲しき哉」の一語につきる。酷い話しである。
  さて、歴史という過去の具象を解明する手法として様々な”史観”がある。
 世界史では、トインビーの白人優越史観があり、コインブラ大学のオロラ・ケント博士などは有色人種の立場からトインビー史観を真っ向から論難している学者もいる。
  一枚の紙にも両面が在るごとく、一方からだけの見方はおかしい。これは常識である。
  翻って日本の歴史の現状はどうだろう。
 相変わらず東大史学会を頂点として、足利史観、徳川史観、記紀偏重の皇国史観である。
こうした現状の中から、学者集団でもないNHKに全く新しい視点、史観で番組を作れ、といっても無理な事を理解出来ない程頭は固くない。
  しかし、前記したように日本開闢以来の”八切史観・八切史学”があり、ただアカデミックな歴史学会が認めないだけだが、
 探す努力を怠らなければ良質の資史料もまだある。

  以前、NHKは上杉謙信を男として放送していたが、近頃は「上杉謙信は女だった という説もあるが・・・・・」とお茶を濁している。これなども八切史観では
「謙信女人説」を三十年も前に解明している。近年、百科辞典類も謙信の顔は明らかに女と解るよう変わってきている。

   さて、細かな点を上げればきりがないが、大事なことは、NHKは今後も通説、 俗説を下敷きにして歴史物を放送するのか、
  調べられるだけ調べ、新しい史観によって放送する気があるのか、ないのか、ということである。

  NHKは日本の放送界をリードしている、紛れもない一方の雄である。
 世はまさに衛星放送デジタル放送4K、5Kの時代であり、地上波放送もデジタルに移行するなど、本格的な多チャンネル時代を迎え、民放、外資系も含めた大競争時代に突入するだろう。
このような時代には国民の税金で運営されているNHKの果たす役割は重い。
いい番組も沢山あるのに事、歴史番組に関しては勉強不足が惜しまれる。 最後に「ヤラセ」の体質も源に慎むべきである。