『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。

『日本史編纂所』・学校では教えてくれない、古代から現代までの日本史を見直します。

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。














学校では教えてくれない、日本史の真実に迫ってみました。従って このブログの全ての記事は、俗説、通説とは大きく違う。だからこれを「信じられぬ歴史」とし、俗説、通説を天壌無窮のものとするのは自由である。
しかし、調べられる限りの史料、資料を読み解き、出典文献、確定史料は全てあげているばかりでなく、原文その儘を誤解のないよう引用している箇所もある。

だから、もし意外性に驚かれても、疑問をもたれる向きは、どれでも抜き取りで参考資料とつき合わせて確かめて頂きたい。
つまり、これは本当は意外史でも何でもなく、此方のほうこそ正しい真実を徹底的に調べ上げているのである。どうか安心して読んで頂きい。



大日本史と水戸光圀

これは現代、神武帝から始まって後小松帝に到る迄を397巻と226冊に纏め、
別に目録5冊を付けた膨大なものだが、監修は水戸光圀だとなっている。
しかし光圀の死後220年後の明治39年に完成したとなっているのだが、これはあまりにも時間が掛かり過ぎである。
何しろ実際の光圀は、酒井大老と組んで、五代将軍に京より有栖川幸仁親王を迎えんとして失敗し、水戸常陸西山に押し込められ強制隠居させられた悲劇の人物である。
 江戸時代の閉門蟄居というのは、実に厳しいものであり、自由など一つも無く、光圀が群臣を集めて編纂したとなっているが、絶対これは無理な話である。 
では誰が何の為に大日本史を纏めたのかと言うと、幕末外圧で幕府の力が衰え、攘夷、開国の論議が沸騰した。
こうした時代を背景に朝廷から「征夷の勅を賜った者こそが征夷大将軍なり」と、水戸斉昭が水戸が江戸に取って代わらんとして、水戸城三の丸に弘道館を作り、
ここで家臣たちに突貫作業で著述させたものと考えられる。実際、水戸幕府と大書された大看板が幕末までは存在したと云われる。これは江戸で将軍になるための恰好付け、権威付けのためのものだったらしい。
光圀が作ったことは疑わしいというのは、何故なら水戸25万石の財力を投じ、何百年もの歳月をかけてようやく完成したでは、あまりにも不審である。
光圀関係は以下のリンクから。
https://ameblo.jp/yagiri2312/entry-12622977831.html