こにゃぎりん
8月になった。本当に久しぶりに本を読んだ。
子供を産んでから、かなり遠ざかっていた本。
本を読みたいと思うくらいの余裕ができてきたのかもしれない。
吉本ばななさんの本がかなり好きで読み続けているのだが、
好きな彼女の本でさえも産後なかなか気が向かずに読めなかった。
台湾読者向けに書き下ろしたエッセイが日本で7月末に発売されたことを彼女のTwitterを通して知った。
【切なくそして幸せな、タピオカの夢】
タピオカの夢のパワーワードと本の表紙に書かれているテーブルにひかれた。
「今読みたい」と瞬間に感じ、書店を3つ回って
「吉本ばななさんの新作の、なんちゃらとタピオカの夢を探している」
と店員さんに探してもらったが、どの店でも
「うちには在庫が無いので取り寄せになる」
と言われた。
ので、昨日の夜に大きな書店の近くに行く予定があった夫に買って来てもらうように頼んだ。
朝起きると、私のMacBookの上に、その本が鎮座しておられた。
ありがとう、旦那っち。
短いエッセイなので、すぐ読めてしまった。
吉本ばななさんの本からは、いつも自分が気がついていない自分が持っている気持ちに気がつかされる。
「ああ、これってこうだったんんだな」といつも思う。
これが彼女の書くものが好きな理由。
やはり、思い出の中の食べ物が占める割合はとても大きい。
小さい頃に住んでいたマンションの一階にあるお肉屋のアメリカンドッグ。
そのマンションの2つ隣りにある居酒屋のメニューの大あさり。
家族とよく食べに行ったあさくま。
海の帰りにいつも寄った、まるは食堂の大きな海老フライ。
ピアノ帰りに友達と友達のお母さんたちと寄ったミスドの中身だけ食べてパイは母にあげていたエビグラタンパイ。
ミスドで無ければ、モスバーガーによってフィレオフィッシュを食べていた。
こんなふうに幼稚園まででも、かなりの食べ物メモリーが簡単に脳内再生される。
(ちなみにかなり余談だが、広州に行った時にタピオカ好きの私はタピオカドリンクを求めて歩き回ったのだ。
その時の動画はコチラです古い)
彼女のお父さんの料理の話しを読んで、高校の時の留学中のホストファザーが作る唯一の料理がバターたっぷりチーズオムレツだったことを考えていた。
毎日食べたら絶対に胸焼けしちゃうし身体に良くないのは分かるのだが、時々作ってくれるホストファザーのスペシャルなので、カロリーなんて気にせずペロリと食べてしまう料理だった。
一年にも満たない短い期間の一緒の生活だったからか、彼らとの食事風景はとてつもなく鮮やかな色で頭に残っている。
やっぱり大切な人とは美味しいものを一緒に食べたい。
最近、娘と美味しいものを食べるのは私の密かな楽しみになっている。
産後自分の収入が全く無い状態なので、自分の今までの貯金で娘とプチ贅沢をするのにハマっているのだ。
一緒にモーニングをしたり、果物屋のフレッシュジュースをわけっこしたり、
「お母さんにも頂戴」といいながら、娘がぐびぐびジュースを飲むのを見ているのがとても嬉しい。
タピオカの夢でばななさんに教えてもらったこと。
「子供を産んでから孤独を感じた事がない」
ハッとした。
そうだ。
産む前は常に感じていたよくわからない孤独。
誰かと物理的に一緒にいるいないとかに関係無く、覆ってくる孤独というシーツのようなやつ。
孤独にすっぽり包まれると、なんだか心地よい気さえするナルシーなやつ。
それが全く無くなった。
常にどこかに娘がくっついている。
自分のおっぱい(もう卒業したが)をご飯にして一生懸命生きている小さい人がいる。
そうかー、だから(最初に言っておく、ごめん旦那)寂しさから彼にピトリとしたくなったり彼の存在を求めたりすることが無くなったのか。
なんだか勝手に納得した。
正直、私と旦那は相互の愛情というよりもそれぞれの愛情のカケだったりそれぞれの寂しさの埋めのような部分で執着していた部分が大きかったと思う。
なので、娘が産まれて親になって、母親になったワタシは少し彼から卒業した。
彼はもしかするとまだかもなと感じる。そこの部分に執着しているように見える。
だから、きっと親になって2人の関係もどんどん変わって行くのだろう。
タピオカの夢から言葉を借りれば
「成熟」
していくのだろう。
やはり今読んで良かった。
Soupy Tangさんが書く表紙のテーブルには惹かれたが、この絵のなつかしさはなんだろう。
何かの絵に似ている気がするのだけど、思い出せない。
Twitterでこの本の発売を知ったが、チェックしてみたらブログにも発売のことが書かれていた。
絵のすーぴーさんの写真と共に。
見逃すブログもある。
とにもかくにも久しぶりの読書が出来て、とても落ち着いた。
旦那っちが帰って来たら、早速お礼を言う事を忘れないメモ
ばいにゃぎりん