クロヤギです。
今日、金木犀の匂いを嗅ぎましたよ。
秋ですねぇ。
さて、今日は赤瀬川 隼の『潮もかなひぬ』の感想です。
『潮もかなひぬ』は昭和58年、「別冊文藝春秋」に発表され、第90回直木賞候補作になっています。
とはいえ、長編化に際して全面改稿された作品だそうですので、候補作と同じものではないでしょう。
こんなお話。
スポーツライターの由布は、高校の同窓会で出会った荒巻田津子という女性に、彼女の祖父の死の謎を解いてくれないかと頼まれる。
田津子の祖父である荒巻潮は、戦時中、政治的には無色の商社マンだったがなぜか特高に拉致され、その時の過酷な牢獄生活が元で亡くなった。
なぜ拉致されたのか家族にも分からず、何の手がかりも残っていないが、ただ死ぬ間際に潮は「万葉集が命をちぢめた」、「人麻呂と心中だ」という言葉を残していた。
由布は美しい田津子のために真相解明に乗り出すのだが…。
えーっとですね。
この小説の謎解きには、万葉集に対するある種の見解が関わってくるのですが、本文中のその説明がいまひとつ納得がいかなかったのです。
見解を同じにする人々の小説でない学術的著作が別にあるそうなので、どんなもんかなとネットでちょっと調べてみました。
するとどうやら、現在は概ね否定の立場をとっている専門家が多い説のようです。
ネットで調べただけなので、断言は出来ません。
そしてクロヤギとしては、そのことがこの物語の瑕なのかというと、そうは考えません。
たとえその見解が専門家に否定されるようなものであっても、多少の牽強付会があっても、クロヤギの中ではそれがそく面白くないという感想に繋がるものではありません。
あとがきひとつとっても、著者のこの見解に対する思い入れの深さは感じ取れるのですが、どうにもそれに対するウェートが大きすぎて、小説としてはどうかと思うのです。
つまり、万葉集に対するその説を披露するために書かれた小説のように感じられたのです。
この小説で重きをおくのは人麻呂の方だったのじゃないのかなぁ、と思ってしまいました。