クロヤギです。
例の本を読了しました。
そう、『金色夜叉』です。
いやー長かった。
この本についてどう書こうか悩んだのですが、ごくごく正直に書くことにいたしましょう。
あらすじはシロヤギさんが書いてくれている ので省略。
私が読んだのは新潮文庫の平成十六年五月に改版されたものです。
これには『金色夜叉 前編』『中編』『後編』『続 金色夜叉』『続続 金色夜叉』『新続続 金色夜叉』が収められていて、未完ですがこれで全編のようですね。
シロヤギさんが書いていたように、確かに文章が美しい。
旧仮名遣いのせいでちゃんと意味を読み取れているのか、自分の読解力に首を傾げるところもちらほらあるけれど、それでも思わず口ずさみたくなるくらい。
特に宮の美しさを描くときの念の入れよう。
おそらく、当時これを読んでいた若い娘さんたちは皆うっとりしてたんだろうなぁ…。
「その目の爽にして滴るばかり情の籠れる、その眉の思へるままに画き成せる如き、その口元の莟ながら香に立つと見ゆる、その鼻の似るものも無くいと好く整ひたる、肌理濃に光をさへ帯びたる、色の透るばかりに白き…(本文引用145頁)」
だもんね。
だがしかし。
私は楽しめなかったんだなぁ。
どうしてかと考えたら、まずは私があまり恋愛小説に興味がないというのがあります。特に悲恋物に。
それから、これが一番肝要だと思うのだけれど、貫一にも宮にも感情移入ができず好きにもなれなかったからでしょう。
彼らの恨めしさ、その切なさ、恋しさが分かる…という感情的土壌が必要なんだと思います、この本を楽しむには。
クロヤギにはそれが欠けていました。
クロヤギが『金色夜叉』を読みながらずっと考えていたのは、貫一の恨みは恋の恨みじゃないんじゃないかなぁ、ということでした。
私の勝手な解釈だけれど、貫一はないがしろにされたこと、宮が他のものと自分を比較して自分を選ばなかったこと、自分のものが人に取り上げられたことを恨んでいるんじゃないかしら、とぼんやり思っていました。
まあ、彼の恨みが恋のためであったとしてもそうじゃなかったとしても、とりあえず貫一くんは福田 恒存の『私の幸福論』を一読してみるべきだと思います。
と、いうわけで、明日はその本をご紹介しましょう。
(シロヤギさんには前に一度話したけどね)