品川宿史跡巡り(土佐藩関係多め) | 幕末ヤ撃団

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勝者に都合の良い歴史を作ることは許さないが、敗者に都合良い歴史を作ることも許しません!。
勝者だろうが敗者だろうが”歴史を作ったら、単なる捏造”。
それを正していくのが歴史学の使命ですから。

 今日は、月曜の平日と言うことで会社の身体検査で有楽町の病院まで出向いてました。が、検査が終わって勤務先に行くには2時間以上掛かり、時間的に仕事する時間ないでしょという理由で午後半休取った次第。診断を朝一番の8時30分スタートにして貰ったので、あとは全部明き時間にしたった(苦笑)。で、まぁ、折角有楽町まで出てきたのだから史跡巡りをしようと思ったのですね。

 有楽町から近い史跡と言えば江戸城なんですが、これは先日行ったばかり。なので、今回は一度ガッツリ見ておかねばと思っていた品川宿史跡巡りを決行して参りました。ということで、山手線に乗って品川駅で京急に乗り換え、京急立会川で下車します。駅前の公園に「坂本龍馬像」があるのですね。

↑品川にある坂本龍馬像

↑坂本龍馬像案内版1

↑坂本龍馬像案内版2

 

 黒船来航時に、徳川幕府派江戸湾(東京湾)の海防を臨時的に徹底強化しました。土佐藩もこれに駆り出され、剣術修行で江戸に出てきていた坂本龍馬も土佐郷士として動員されていたと言われています。

↑旧土佐高知藩山内家下屋敷跡(工事中につき、案内版見れない)

 

 近い場所に、土佐藩下屋敷や土佐藩鮫洲抱屋敷があり、品川宿と土佐藩の関わりは多いのですね。江戸湾警備に駆り出された龍馬も、こうした土佐藩の拠点に呼び出されて警備に当たったと思われます。

 

↑坂本龍馬像のところにある浜川砲台案内

 

↑土佐藩浜川砲台跡

↑公園内にあるホーイッスル砲レプリカ

↑砲台に備えられた大砲についての説明

 

 警備に際し、土佐藩は臨時的に砲台を作って大砲を備えました。龍馬もまたこうした台場の防備兵力に加えられていたのだろうなと想像します。公園にはホーイッスル砲のレプリカがあります。ホーイッスル砲というのは、炸裂弾(榴弾)をゆるやかな曲線を描いて打ち出す大砲のことです。

↑黒船を模した遊具?。

 

 砲台跡は公園になっているので、砂場のなかには上記のような遊具もありました。きっと、近所の子供達が砂場を渡って密航ごっこ→そのまま幕府役人に分する子供相手に鬼ごっこ。とかしているのでしょう。んなわけねーか(苦笑)。

↑旧・薩摩鹿児島藩島津家抱屋敷跡

↑案内版

 

旧・土佐藩下屋敷跡の近くには薩摩藩の抱屋敷もあったようです。が、あくまでも安政三年頃の記録に基づくものだそうです。

↑山内容堂公墓所

↑山内容堂公墓所案内

 

 このまま徒歩で京急鮫洲駅まで歩いてしまいました。鮫洲駅の近くには四賢公の一人山内容堂公のお墓があるのです。ついでですからお参りしてきました。

↑旧・越前鯖江藩間部家下屋敷跡

↑案内版

↑仙台藩下屋敷跡

 

 容堂公墓所近くにも、鯖江藩や仙台藩が下屋敷とした場所がありました。

 

↑旧・日向佐土原藩島津家抱屋敷跡

↑案内版

 

 鮫洲駅から新馬場駅まで歩いてしまいました。いやぁ、足に負担掛けたくないなぁとは思うのですが、徒歩10分ぐらいだと、各駅電車待ってるより歩いた方が早くないか~とか思ってしまって、結局歩いちゃうんですよねぇ。新馬場駅の近くには、佐土原藩抱屋敷跡があります。現在は品川図書館になっているようです。

 他にも品川宿の中心部として、本陣跡や脇本陣跡があります。

↑旧東海道・品川橋

↑品川宿脇本陣跡

↑品川宿脇本陣案内

 

 上記は、品川橋のところにある脇本陣跡です。向かいに品川宿案内所がありましたので、ここで「町歩きマップ」をゲットです。

↑品川宿本陣跡(門)

↑説明板

↑品川宿本陣跡(屋敷)

↑案内板

 

 ここまで歩いてしまうと、そのまま御殿山下台場跡が近くなってきてしまいます。なので、電車を使わずにまたもや徒歩で向かいました。

↑御殿山下台場跡

↑案内板

 

 御殿山下台場は、お台場にある海上台場群と連動した江戸湾奥防衛のための砲台です。が、現在は完全に埋め立てられてしまっているので、遺構としては石積みの石が、レプリカの灯台の台になってるぐらいかなぁ。

↑台場に使われていた石積み。ノミの跡があります。

 

↑品川宿碑

↑品川宿案内板

↑品川宿石垣の説明

↑品川宿石垣(現在は花壇の壁になっている)

 

 御殿山下台場跡からほど近い場所に、品川宿を示す碑があるので行ってみました。遺構というものはなく、碑があるぐらいですね。ただ、花壇の壁に石垣の石が転用されているとのことで、確かにノミの跡がありました。ただ、このあたりは新馬場駅と北品川駅の中間ぐらいの位置なので、品川宿の末端という場所でもないと思われ。たぶんですが、北品川あたりからが品川宿がはじまるんじゃないかと想像していますが、まー、突発で来ててちゃんと下調べしてないのでよくわからんです(苦笑)。

 で、近くに板垣退助の墓所もあるとのことなので、行ってみました。

↑板垣退助墓所

↑説明板

 

 上記が板垣退助墓所です。手を合わせてお参りしてきました。このあたりには、他にも松平春嶽や岩倉具視の墓所もあるのですが、そちらはお寺さんの管理で未公開となっています。墓域も施錠されて立ち入り禁止です。それはともかく、案内版にある「板垣死すとも自由は死せず」はどーでしょうー(苦笑)。史料的(警察署御用掛であった岡本都嶼吉の報告書)には「吾死スルトモ自由ハ死セン」だったといわれます。これが後に前述の名台詞に改変されていったというのが真相かなぁと。

 

↑土蔵相模跡1

↑旅籠・土蔵相模跡2

↑旅籠・土蔵相模跡3

↑旅籠・土蔵相模説明

 

 で、結局北品川駅まで歩いちゃいました。北品川駅前には、あの旅籠「土蔵相模跡」があります。高杉晋作や伊藤博文など尊王攘夷の志士たちが利用した旅籠ですね。もともと、今日はこれを見るために品川に行こうと思ったわけですが、良く考えたら坂本龍馬とも縁があるお土地柄ということで、立会川駅まで出張りました。そこから江戸の方向へ歩き続けたという感じ。品川宿がだいたい京急線と平行しているので、電車を活用しようと思ってたんです。が、品川宿全体に史跡が点在しており、幕末史に絡むものも多いということで、結局立会川駅から北品川まで5駅分を歩き通しちゃいましたなぁ。でも、見所は多かったです。意外に、土佐藩と関係しているものが多い。なので、龍馬ファンの人なら行く価値ありだと思いますよ。

 以上、品川宿史跡巡りでした。