2018年元旦・試衛館稲荷神社初詣 | 幕末ヤ撃団

幕末ヤ撃団

勝者に都合の良い歴史を作ることは許さないが、敗者に都合良い歴史を作ることも許しません!。
勝者だろうが敗者だろうが”歴史を作ったら、単なる捏造”。
それを正していくのが歴史学の使命ですから。

 

明けまして、おめでとうございます。

まずは、年末のコミケット93に我がサークルに来て頂いた皆様、ありがとうございました。

そして、お疲れ様でした~。

楽しい会話などさせて頂き、とても楽しい一日でした。

そして、次回の幕末ヤ撃団の新刊予定としては……

 

『素行不良の思想史 芹沢鴨と中心として(仮名)』

 

というような内容を考えております。

芹沢鴨がテーマだと言うと、「芹沢鴨lの出生(出身地)に関する事か!?」と思われる方がいるかもしれませんが、残念ながら違います。

芹沢鴨の出身地に諸説あることは承知しておりますが、このことに関する私の見解はすでに発表済みです。

そこから何も考えが変わっておりませんので(苦笑)。詳しくはこちらをどうぞ→http://yageki.k-server.org/bekan.htm

 

今年のテーマとして取り上げる芹沢鴨は、あくまでも思想史として芹沢鴨を考えて見たいと思っています。

幕末、尊皇攘夷の志士たちは、「天誅」や「押し借り」といった悪行とも言うべき行為を行いました。

これは芹沢鴨だけに見られることではなく、鳥羽伏見の戦いのキッカケになった薩邸浪士による江戸での活動や、赤報隊も押し借りまがいの金策を行っています。こうした行為は、武士道や士道の視点からも言い逃れができない「悪行」と言える行為と思います。国士たろうとする彼らが、なぜこうした悪行を行ったのか?。背後にある考え方や思想を探ることで、幕末の混乱期に見られる”影”の思想を浮かび上がらせることができるのではないだろうか?。と思っています。その材料・モデルケースとして新選組筆頭局長芹沢鴨を論じてみたい。と思ったわけです。

ということで、来年も歴史サークル「幕末ヤ撃団」を宜しくお願い致します。

 

以上、サークル活動の宣伝したー(苦笑)。

ここからは、今日行って来た「試衛館稲荷神社初詣」のことを書きたいと思います。

 

 

新選組の局長だった近藤勇の道場「試衛館」の近くにあったとされる稲荷神社です。

市谷柳町にあるのですが、江戸時代からこの場所にあったそうです。

普段は、柵の中には入れないように鍵がかかっており、柵の外からしか眺められないのですが、研究家あさくらゆう先生のご尽力により、毎年元旦だけ解放されています。

 

私の場合、正月ぐらいは実家の方に帰省して両親と初詣するので、なかなか参加が難しいイベントなのです。でも今年は大晦日にコミケにサークル参加しなければならなかったということもあり、帰省することを取りやめました。

なので、今年の試衛館稲荷初詣には参加できたわけです。

 

 

荷神社の側に立つ「試衛館跡」と書かれた史跡案内です。

正確には、この案内板の斜め前あたりに試衛館があったんだそうです。

 

 

詳細は、上記の説明文を読んで下さいマセ。

 

 

初詣の際は、修験道式の呪文(お祈り?)からスタートしました。

このあと、みんなでお参りしました。

この神社の隣には養護施設があり、元旦でも混雑する神社への初詣になかなか行けない方々も初詣にいらっしゃっていました。

元々は新選組ファンのイベントという色相が濃かったのですが、こうした様子を見ると、すでに恒例行事として地域に溶け込んで重要なイベントになっているという感じがします。

 

 

近隣は開発が進んでおり、近藤勇がいた頃の面影はあまりないのですが、唯一この神社の石の参道が当時の面影の残す遺構なのだそうです。

もしかしたら、近藤勇や土方歳三もこの石畳の上を歩いて、稲荷神社にお参りしていたかもしれませんね。

 

 

よく見ると、確かにナナメに削ったセンが何本もあります。ノミの跡なんだろうなぁ。

ノミの跡があるということは、人力で切り出している訳ですから確かに遺構という感じがすごくします。

今だったら、機械でぎゅいーんっと切っていくので切り口は綺麗ですからねぇ。

 

いやいや、元旦の初詣から良いモノが見れました。

あさくら先生をはじめ、試衛館神社初詣を実施されている方々に感謝しつつ、これからも末永く続いていって欲しいと思います。

また来年来たいとは思いますが、たぶんさすがに2年連続で親に顔を見せないというのもアレなんで来年は無理かなぁ。