歴史観の重要性 | 幕末ヤ撃団

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勝者に都合の良い歴史を作ることは許さないが、敗者に都合良い歴史を作ることも許しません!。
勝者だろうが敗者だろうが”歴史を作ったら、単なる捏造”。
それを正していくのが歴史学の使命ですから。


歴史の本というものに触れる際、私がまず重視するのは「歴史観」だったりする。

この本を書いた人は、どういう歴史観を持っているのか?。ということが解らないと、まずその本に書かれている事柄を本当に理解した事にはならない。と、私は思うからだ。

で、近年どうもこの「歴史観」が悪者呼ばわりされたりするので、まずその点に関して書いていきたいと思う。

歴史観とは何か?。
といえば、簡単に言えば「歴史を見る上で、ある特定の見方から歴史を理解し、方向性を見いだす場合があります。その特定の視座が歴史観です。」と、ウィキペディアにある。

さらに詳しく説明すると、「歴史観とは上記の方法論によって導き出された様々な歴史的事象の関連性や構造を考察する上において、どのような要素を重要視しているかの違いを指す用語である。歴史的事象の間に関連を見出そうとする事は歴史学にとって重要な営みの一つだが、その際、論者の歴史観によって大きく見方や意見は異なってくる。此処では時系列順に主な歴史観を列挙していく。」と、ウィキペディアの歴史学の項にある。

私的には「何を重視して歴史を見ているのか。あるいは歴史的事象の判断基準となっているもの」ではなかろうかと思う。

たとえば、

皇国史観:天皇制国家(皇国)は正しいとする視座。
薩長史観:明治維新は絶対に正しい。したがって、薩長両藩の討幕運動を「聖戦」と見なす視点。逆に言えば、佐幕派は悪とする見方。
会津史観:薩長両藩ら討幕派に対抗した、会津藩の視点から歴史を見直す。薩長史観と対極を成す。
マルクス史観:経済という視点から歴史を見る。貧困層から搾取して肥え太った裕福層を、その怒りから貧困層が倒す。

といった歴史観が有名かと思う。近年問題になってきているのが歴史における「客観性」というもので、むろん客観性の無い歴史論など単なる主観論でしかなく、それは信用できないものだと私も思う。

ところが、この歴史観自体が主観ではないのか?。というより、私は歴史観は主観だと思っている。

なぜかといえば、先の説明にもある通り、「歴史の事象を”ある基準や方向性”によって理解しようとする」のであり、この”ある基準や方向性”を決めているのは、歴史家の主観だからだ。したがって、そこから導き出された答えは主観になっているはずだからだ。

こうなると、歴史における客観と主観とは何なのか?という話しになってくる。
所詮、歴史とは、歴史家の主観論なのだから、自己の主観の赴くままに主観論で良いんだ。ということになれば、そこに説得力は無い。出来る限り、客観性を持たせる努力は必要だと私も思う。
が、その一方で、”人間は全知全能の神”ではないので、歴史的事件のその全貌(例えば、当時の政治状況、各政治勢力の抱えた内情、その事件が起こった背景と思想、その日の天候、事件に関わった全ての人間とその人間個人個人の事情、関わった人間の友好関係、関わった人間の……つまり森羅万象そのすべて)を完全に把握することは、激烈に困難で不可能に近いこともまた事実なのである。

そこで、歴史的事象を考察する際、歴史観という「物差し」を使って、ある基準を定める。あるいは、歴史的事象の中から歴史観に基づいて重視すべき事柄を選び、歴史的事象の特徴を把握するといった事を歴史家は行っている。否、実は歴史家に限らず、歴史に触れた人間は全員それを行っていると思う。意識的か無意識かの違いはあるかもしれないが。だから、そこにどうしても主観が入るのはやむを得ないのだ。
主観を完全に排除しようとすれば、たぶんもはや「歴史論を語る」こと自体ができなくなる。

その一方で、客観性も確保されるべきという意見にも私は同意する。

これまで、この客観性を確保する方法として用いられているのが「史料学」というものと私は理解している。

歴史を論じる(歴史論)際、それを構造的に説明するために用いられる物差しが”歴史観”だとすれば、それが主観であることは仕方が無いにしても、その物差しで測る対象物=歴史的事象は、史実で無くてはならない。それは”誰が見ても史実だ”というものである以上、ここにこそ客観性が無ければならない。

簡単に言えば「嘘かホントか」ハッキリさせた上で、ホントという部分に対して歴史観を用いて、歴史的な意味や意義を見出す。これが正しいのだろうと思う。

「史料に書かれている事柄が、嘘かホントかハッキリさせる」ために用いられるのが「史料学」であり、その一つの方法に「史料批判」という行為がある。

したがって、歴史論を組み立てる際に使う歴史観(主観)と、根拠となる歴史的事象の客観性を確保するために用いられる史料批判は対になっていると私は考えている。そして、何よりも主観論に陥りやすい歴史論に、客観性を持たせる唯一の方法と私は思っている。

歴史観を主観論に陥る原因として、これを敵視し、排除してしまえば、人間が全能なる神にでもならない限り「歴史論そのものを排除する」ことになってしまい、歴史それ自体を語ることが出来なくなってしまうのではないか?。そうなれば、歴史家のできる事は「事実の報告」と「史料の捜索と紹介」だけとなり、史料の解説や歴史的事象の説明を行おうものなら非難されてしまう。なぜかと言えば、解説や説明をするために用いるのが歴史観であり、これナシには解説も説明もできないからだ。

なるほど。確かに歴史観は時として「偏った歴史論」になる事も多い。故に「ナントカ歴史観」は嘘八百だ。ナントカ歴史観は信じない方がイイという事にもなりがちではあるのだろう。しかし、そこで問題視すべき点は「間違っている。嘘だ」とする部分だと思う。そして、その嘘や間違いは、史料学に基づく史料批判をしっかり行う事で、回避することが可能なのだから、ナントカ史観そのものを敵視するというのはお門違いではないだろうか。

ただし、だからといって今時「皇国史観」という考え方は、間違ってはいないという主張がしたいわけではない。戦前は、天皇絶対主義だったのだから、皇国史観にしかならない。それを踏まえた上で、戦後の多用化した考え方と歴史観をもって、歴史を多角的に見直すことが必要なのだろうと考えている。それこそが、新しい歴史の見方であり、何も古い歴史の見方を擁護している訳では無い。ただ、客観性を重視するあまり「歴史観そのものを排除しよう」とする考え方はナンセンスだという立場を私はとっている。