さわやかな6月(1989年)のある日、仁左衛門さんのお話をうかがいに嵯峨野のご自宅まで。
緊張している私のつたない質問に、仁左衛門さんは一つ一つとても丁寧に答えて下さいました。
仁左衛門さんの歌舞伎に対する情熱に圧倒され続けたインタビューです。
(役者さんのお名前や代数は当時のものです)
――――仁左衛門さんのすごいところは、舞台の幕が開くとその役、その人物そのもので登場している。そこが他の役者さんと比べて段違いなところだと思うんです。
役になりきるコツをお伺いしたいのですが・・・。
いやいや、なかなか・・・。自分としては一所懸命やってるんですけどね。
若い時分にはね、何をやってもつい自分が出てね、自分をよく見せたい、褒められたいという気が先にたってね。
例えば私は『勧進帳』の弁慶を高麗屋の小父さん、十一代目團十郎さん、白鸚さん、松緑さんのお父さんの七代目幸四郎さんね、その小父さんに習った。
当時高麗屋さんの弁慶は極め付きのものでしたから・・・。
ところがその頃稽古をして頂いてもただ「どうしたら小父さんのように見えるかしら、こうしたらどうだろう」とただ高麗屋の小父さんに似せることだけしか考えてないのね、形ばかりにとらわれていて・・・。それではいけないわね。
『忠臣蔵』の由良助をすれば「あーお父さんはここはこんなことした」、『太閤記十段目』の光秀を当時随一の中車小父さん(七代目)に習えば一所懸命中車さんを真似る、市村の小父さん(十五代目羽左衛門)を真似る、六代目(菊五郎)の小父さんを真似る、真似るばかりね、それではいかんわね、形ばかりではね。
本当にそれが判ってきたのが恥ずかしいけど六十すぎてからね。
そりゃ役者誰でも舞台に立てばそれぞれその役の気持ちになって芝居をしているには違いないのだけど・・・。その役の気持ちでしたからってその役になりきれるというものではないし・・・。
私にしても自分でなりきれているなんて、そんなこと思っていないけど、もし見て下さった方がそう思って下さるなら、それは結局こんな年まで一所懸命役者をしてたからじゃないのかなあ。だからコツなんてありっこないわね。自分にも判らない・・・。
しかし伝承芸術である限り最初の段階で習うこと、真似ることも大切なことで、深いことも判らないうちに、浅い考えで勝手なことをやりはじめたらそれこそ大変なことになるわね。
今現在その心配がないでもないけどね。