前回の記事で「勉強を一生続けるつもりで勉強をする」というお話をしましたが、それに関連して、以前私の人生観を大きく変える出来事がありましたのでその話を載せておこうと思います。お子さんの勉強にもきっとお役に立つと思います。


8歳のミドリと妻と3人で初めて富士山を登ったのはもう9年前になります。私はそこで非常に大きな事を学びました。


それは


諦めずに上を見て登り続けて(「決められた事をやり続ける」ではない)さえいれば、少しずつでも上に登っていくことができる。


という事でした。


その日私はハイキング気分で富士山に行きました。一応登れる装備を持っていきましたがミドリは小さく、歩くのも好きではない方でしたのですぐ「帰る」と言い出すと思っていました。バスで5合目まで行き、六合目か七合目の手前あたりまで登って、景色を見て帰るつもりでした。


しかし登りはじめるとミドリが今までなかった力を発揮しました。


ミドリはどちらかと言うと短距離タイプで、持久力がないので、案の定すぐ疲れてしまいました。

「きゅうけいしておやつを食べたい」

と言い出したので、ああ、食べたら下山かな。と思っていました。しかし食べて一休みすると上を見上げ

「のぼる〜」

といって歩き出しました。でも葛折りの坂を一往復する(歩く距離にして100-200mぐらいでしょうか)と疲れて休むの繰り返しになりました。しかし私が

「もうおりるかい?」

と聞くと

「きゅうけいしたらまた登る〜(๑¯◡¯๑)」

と言ってわりとご機嫌にのぼり続けるのでした。すごいゆっくりなペース、すごい休憩の回数でした。妻は「もう一息登ろう」と声をかけますが、娘は自分が休みたいタイミングがわかっているようで、


「登りたいだけ登り、休みたいだけ休む」


のサイクルを繰り返しました。


そして七合目からの急な岩場も一つ登っては茶屋で休むを繰り返す事で一つ一つ、登っていくのでした。


そして登り始めてから8時間がすぎた14時ごろ、私たちは本八合目まで登っていました(((╹д╹;)))


泊まる準備を持っていなかったのでそこで下山をしましたが、ミドリは遥か下にスタート地点の駐車場があるのを見て自分が登った高さを実感し、とても自信がついたようでした。そして私自身も「まだ小さいミドリが富士山をここまで登る事ができた」というこの経験で大きな事を学ぶことができました。


私自身、登山は大嫌いでした。とにかくしんどい。そしてめちゃくちゃ頑張っているけど普通に登っている人たちに全く追いつけなくて悔しかったり恥ずかしかったりする。そういう思いをする事が、身体がしんどい以上に嫌でした。


しかし今思えばそれが間違いだったのだと思います。ミドリは「登りたい気持ち」と「休みたい気持ち」をしっかり両立させ「上を見続けて登るけど、体が疲れてきたら無理せず休む。そして体が動くようになったら再び登れるだけ登る」を繰り返し、結果を出しました。


ちょっと考えれば分かる事ですが、それが正解だったのです。「これぐらいのペースで登れないといけない」とか「何度も休むのがカッコ悪い」とか思わずに、自分の身体と相談しながら登りたいだけ登り休みたいだけ休んでまた登れば(崖上りとかの難所は別として)、落ちたりやめたりしない限り山を登ることはできる。そしてそれを非難したり否定したりせず付き合う人がいれば、体力がない小さなミドリにだってそれができるということだったのです。


ハンマーで頭を殴られたような気分でした。

そしてそれは私が、小さな娘と、人間の大きな成長の可能性に気づいた瞬間でもありました。


これは登山に限ったことではありません。私たちは上を見続けてあきらめず登り続ければどんな分野においても必ず成長し、いつか目の前の問題を乗り越える事ができます。

しかし登るスピードや技術には個人差があり、それぞれが自分の好きなように好きなペースで登り、休みたい時は好きなだけ休む必要があります。

しかし今の世の中はさまざまなプレッシャーがあり、どうしても引きずられてしまう。または引きずられていることに気づかないことも多いと思います。人が成長して幸せになるためには、そのプレッシャーたちとどう向き合っていくかが大事なんだろうと思いました。


その経験以来、コーチング、日頃の業務、ミドリの育児や勉強のコーチングにもその姿勢を大いに役立てました。


「やりたい時にやりたいだけやり、休みたい時は休みたいだけ休む。でも(登りたいところがあるのであれば)登ることは諦めない」


その方法で私は沢山の人々の成長に立ち会う事ができました。この気づきにとても感謝しています。


8歳の小さな娘から学んだ「登山の教え」はきっと多くの方に役立つ知恵であると思います。ぜひお役立てください。