禍福人生 奮闘日記 『NBF松山日銀前の樹木と山草』

 

先日NBF松山日銀前公開空地の樹木を剪定をした。ここの樹木は私の分身であり子供の様なものである。私はここの山草を誰よりも愛している。何故なら私の手植えの作品だからです。私は樹木や山草と対話が出来る。喉が渇いた。水がほしい。虫で体がかゆい。太陽光不足でビタミンが足りない。樹木達とそんな対話をしている。NBFの植木ボックスは樹木の根がぎっしり詰まってしまった。満員電車状態で全ての樹木は疲れ気味である。近々全てを植替える時期が来る。もう少しこのままで頑張ってもらうつもりである。

 

私が生まれ育った東宇和郡宇和町岩城村(現在の西予市)では生まれた時から野山が遊び場だった。鎌を持って山に入るのが遊びだった。山草たちは鎌と鍬を持った悪ガキに戦々恐々だった。日陰で育つ山草、太陽が必要な山草は、大自然の中で役割分担を果たしている。倒れたクヌギの木に野生のシイタケが鈴なりになっているのを見つけたこともある。松茸やシメジはスーパーにあるものとは思わなかった。ハゼの木にカブレたり、ぎんなんの汁でおチンチンが大変なことになったこともある。蜜蜂に足長蜂そしてスズメバチなど危険動物も居る。石を動かしたら下に三角頭の赤マムシと出会ったことだってある。その名の如くお腹は異様なモンモンの赤紫の腹をしている。

 

私は子供のころ自然から随分学ばせて頂いた。プロの植木屋は机上の知識だが私の知識は大自然の知識である。NBF松山日銀前の高木以外は私の実家がある田舎の山から私自身が掘り起こして持ち込んで私が手植えしたものです。太陽が当たってはいけないもの、多少の太陽光が必要なもの、私の剪定の判断基準は、大自然の木々が指示する声なのです。その声が私の診断なのです。AM6時までが山草との対話時間です。すっきりした姿は幾ら眺めていても見あきない。