松山市住宅情報館会長日記 『礼儀と行儀』


最近、『人間としてどうなのか』と思う時がある。礼儀知らずという言葉がある。礼儀正しいという言葉がある。やくざの世界は『正しい挨拶・正しい礼儀・長幼の序・男の約束・けじめ』と言う躾から始まる。長幼の序とは年長者と年少者との間にある秩序を言う。子供は大人を敬い大人は子供を慈しむという考え方です。小分は親分に命を預け、親分は小分を命がけで守る。年齢と役職、会社でも家庭でも秩序が必要です。


礼儀とは人と人との関係において、相手に対する気配りや敬意を基本にした行動や判断の基準です。行儀とはマナーと言われるものです。礼儀にかなった立ち居振る舞い(行為)と言う事になります。よって礼儀という枠の中に、行儀が含まれていることになる。


私は職場の中で『礼儀と行儀』を『規律と責任感、協調性』だと言っている。それは『挨拶と報告』と言う形で表れる。挨拶とは積極的な気配りです。仕事の報告は対等ではありません。上司は指示命令ですから通知となります。部下からは報告となります。部下が上司に報告を行う事で職場の規律・主従の関係が維持されているのです。報告は組織の規律と責任において一番大切なことです。


かつて『今頃の若い奴は』という言葉を聞いたものだが、世代が変わればこうも変わるものかと感じることがある。われわれの時代の『礼儀と行儀』は体罰で教えられた。昨今、愛の鞭は許されない時代になってしまった。柔道部ならプチ回して教育する場面によく遭遇したものだった。今は体育会系スポーツでも許されない。『礼儀と行儀』は軍隊かやくざの世界しか教えられない教育になってしまった。


 学校・家庭・職場において平等という権利を振りかざし長幼の序がなくています。秩序がなくなれば職場はもとより学校だって家庭だって崩壊します。目上の人に対する礼儀、先輩に対する気配り、上司への報告を忘れない。報告という行為は上下関係をはっきりし『秩序や規律』を守ると言う行為です。職場に『秩序や規律』がなくなれば組織は崩壊します。私は礼儀正しい日本人を創るにはかつての教育勅語の復活しかないと思っている人間です。嫌われ役・汚れ役を覚悟しての規律の徹底が私の最後の仕事になると思っている。