今日8/23は、イエシュアが、麗花にプロポーズした、結婚記念日ですウエディングドレス

私の左頬に手を当て、
『婚姻するが、良いか?』

たったこれだけのプロポーズだったんだよ!!
なんの前振りもなくびっくり
しかも、(昼)寝起き!

よく私も『はい。』って言ったわ!(笑)
偉いよ、二年前の私キラキラ


さて、そんな今日は、私の過去世のお話を書きたいと思います。

ヒーリングで一番最初に出て来る、修験道のガイドは、この時代の師匠にあたる方です。

いつも写真に写る、緑の龍神龍
龍神の本名は明かせないので、松の龍神と呼ぶ事にします。
松の龍神さんは、この時代に出会い、私が名付けたそうで、それからずっと私の傍に居てくれているそうなのですグリーンハーツ



私は、円行と言う名の、修験道の若い僧侶でした。
円行さんは、若いながらに、優秀な行者で、また、美男子でもありましたキラキラ

私に見えたお姿は、林の中、下の白衣が透けて見える黒い紗の法衣を着ていて、夏の恰好でした。
細身で、小柄で、華奢な感じですが、引き締まって、必要な筋肉がついてる体躯。
卵形の小顔なお顔立ちで、年齢は20代前半~半ば位な感じでしょうか。


円行さんの居たお寺は、険しい岩山にあり、付近には松しか生えない事から、松生寺と言う名だったそうです。
残念ながら、今はもう無いそうです。

寺では、その険しい岩山に、修行に来る僧侶を泊める、宿坊も営んでいたそうです。
宿坊に迎えた、僧侶達の面倒を見るのは、円行さんの仕事でもありました。

この岩山に修行にいらした僧侶の中には、空海様もいらっしゃいました。
寺の宿坊に泊まりながら、円行さんの力を見抜いて、色々な術を教えてくださったそうです。
龍神の遣い方を教えてくださったのも、空海様でした。

当時の僧侶は、女性と結婚する事は、許されていませんでした。
その代わりといいますか、
《 衆道の契 (しゅどうのちぎり) 》
という関係性が、当たり前に存在しました。
いわゆる同性愛なのですが、もっと強固で、深い信頼の元に、築かれていたようです。
これは、僧侶だけでなく、武士にも当然ありました。

空海様と円行さんも、衆道の契で結ばれていましたラブラブ

もっとも、空海様には、他にもたくさんの、衆道の契で結ばれた方がいらっしゃいましたが、それは【 愛広き、情け深い方 】という認識であって、今のように、浮気性などという概念ではありませんでした。

日本中を転々と修行をなさっていた空海様は、時折、円行さんの寺を訪ね、愛を交わし、共に修行をしながら、様々な事を教えてくださいました。

そんな幸せな日々は、ある時突然、終わりを告げます。

寺の宿坊に、流行病に罹った僧侶が、流れついて、やって来たのです。
その流行病は、当時としては、致死率の高い、恐ろしい病でした。

宿坊の離れのような、一番奥の部屋に、その僧は寝かされていました。
感染を避けたのでしょう。
僧の状態は悪く、死を待つばかりでした。

ですが、心優しき円行さんは、その僧の所へ、粥を持って行く際に、もうじき亡くなるであろう僧が、最期になるかもしれない食事を、お独りでするのはお寂しいだろうと、毎回、食べ終えるまで部屋を離れずに居たのです。

その結果、円行さんもまた、若くして、流行病で亡くなる事となりましたぐすん

空海様が、円行さんが亡くなられた事を知ったのは、数ヶ月後に、寺を訪れた時の事でした。
既に荼毘に付され、亡骸に会う事も出来ませんでしたえーん

空海様は、亡くして初めて、円行さんを深く愛していた事に気付くと同時に、
『うら若き、心美しき円行の命を奪う、このようなむごい仕打ちを受ける、佛の道とは何たるや?』
と、理解しようとして、死してもあちらの世に行かずに、修行をしていらしたそうです。

円行さんは、短いながらも、空海様に愛された事を幸せに想い、成仏なさっていました。

空海様は、自分もあちらの世に行っていれば、円行さんにもっと早くに逢えたのに、こちらの世に留まってしまったと、悔やんでいらっしゃいました。

お二人が涙の再会をなさった時の事は、今でも忘れられませんしょぼん

でも今は、久方ぶりに再会出来た事で、互いにお茶を点てたりと、ようやく、お二人の時間を楽しまれていますお茶



衆道の契のお話とか、ちょっと衝撃的で、昨年伺っていたものの、書くのを躊躇していました。

でも、空海様と円行さんは、何も恥ずかしい事ではないと仰っていて、書く事も、その当時に了承されていましたので、この大切な記念日に、書かせて頂きましたピンクハート

私もイエシュアとの愛を、これからも恥じる事無く、生きていきたいと思いますラブラブ