ガイドからのメッセージについて、ある記事を読んで、ちょっと気になったので、ガイドさん達に意見を伺ってみたいと思い、呼び掛けてみました。

『ガイドの皆さんに、尋ねます。
私は、全てのガイド達の言葉を降ろす者ですが、降ろしている時に、はっきり見えているわけではないので、お名前を伺わない限り、その方がどなたなのかは、わかりません。

降りてきた方々が、本物か偽物かは、どのようにしたら、わかるのでしょうか?
また、本物だという証明は、どうしたら出来るのでしょうか?
どなたか、教えてください。』

『あなたは、どなたでしょうか?』

『大日大聖不動明神。
神であれ、仏であれ、それらの者が、騙(かた)る者であるか?本来の者であるか?を示すのは、言葉のみ、そのエネルギーのみ。

稀に見える者も居るが、今の世の人々には、見えない者が多い。
見えない者を、見える者が説明したとて、それらを証明するすべは無い。

であれば、その、降りてきた言葉を、精査する以外に無い。
それが、審神者(さにわ)の仕事。
審神者は決して、それらの者を、見分けている訳では無い。

見える者は、目に頼り過ぎる。
その、見せている姿は、本物であるとは、限らない。
その言葉にこそ、真実が語られている。

『言葉を発して無い者に対しては、どう判断すれば良いのでしょうか?
例えば、見えただけっていう事ですけど。

姿を見て、それが、謀(たばか)っている者達であれば、何らかの違和感を感じるであろう。

それらが、神や仏であれば、人々は、涙を流したり、或いは、至福に包まれるやもしれぬ。
本当にそれらが、愛そのものであるから。
愛ある者は、全ての者に通じる。


『私の場合は、この身体が神々の社として、結界のようになっていて、悪しき者は入れないのですが、闇の者であっても救うべき対象であれば、降りる事は可能です。
本物じゃない場合には、降りた者は苦しむ…と思っているのですが、それでよいのでしょうか?』

『自らが、そのように決めているのであれば、そのようになる。
この世は全て、自らが決めている事。

悪しき者であれ、魔の者であれ、それらも全ては、ひとつなるものから分かれた者。
人にも、善良な者と、そうでない者があるように、姿の無い者にも、それらはある。

だがそれも、全ては、善と悪、光と影、それら役割が分かれた者。
だがそれらも、その新しき世に、皆が移り変わると共に、消える。

いつまでも、他人の意見に惑わされるのではなく、自らの考えを、強く強く信じ、そのまま突き進めば良い。

姿無き者は、確証などという物は無い。
それらは、自らの魂が知っている。
目で見る事だけが、真実ではない。

そなたは、見えぬ訳ではないが、敢えて、それらの者を見ようとはしていない。
見える時には、見えるはず。
見えた者は、真実であると信じて良い。
必要の無いものは、見ぬようにしているのだ。』
(個人的な有り難い言葉を頂いて、涙が出る。)
『このように体感する事が、我等の証(あかし)。
これからは、迷う事無く、我等と共に、突き進め。
では、また。』



最近はよく、お不動様炎がいらしてくださいます。
先日も、大日如来お願いとしてのお姿が、見えました目キラキラ
有り難いですねラブラブ


あなたのガイドの言葉を伝える、

思い癖を外し、魂への深い癒しを行いながら、ガイド達からのメッセージを伝える、