上色見熊野座神社・高森阿蘇神社(熊本県阿蘇郡高森町) | ☆日々の生活を残していこう☆

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今回行ってみたかったのはコチラの神社。
これ読めます??
“かみしきみくまのいますじんじゃ”と読むらしいですびっくり
何でも最近SNSで話題になってるとの事で気になっていたのですニコニコ
なのでわざわざこっち方面を選んだのですルンルン

ただ、なんか写真だと雰囲気が違うハートブレイク
フィルターをかけた方が見た感じに近いので少し加工しました。
実際の天気も曇だったので、本当にこんな感じです。
鳥居を潜ると
うわっアセアセ結構先が長そう滝汗
しかも両端に灯籠が続いてる。
全てに苔がありなんか風情がありますよね。
振り返ってもなんか神秘的。
そしてこの鳥居が、漫画『蛍火の杜へ』の舞台となった場所らしく、
写真を撮ってるお姉さんに声を掛けると、
韓国の方でその作品を知って来たのだとかびっくり
作品の舞台を巡る“聖地巡礼”ですね。
うひょーガーン灯籠多すぎあせる
登りきった所に拝殿がありましたよ。
■歴史
創設は相当古く、紀州熊野より移したものと云われているそう。
祭祀が営まれるようになったのは、
鎌倉時代末期~室町時代の初期頃らしく、
山岳信仰や岩石信仰により神社が建立されたとのこと。
この当時、熊野信仰が広っていたので修験者が紀伊熊野三山の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の大神を祀ったことで
「上色見熊野座神社」となったそう。
現在の物は1722年に建立されたものらしいです。
江戸時代か…

そしてさすが阿蘇。
石君大将軍(阿蘇山を創った神・健磐龍命〈たけいわたつのみこと〉の荒魂)が
祀られているそうです。
そして驚いたのが、離れて後ろに本殿があること目
さぁ、ここからが本番。
その本殿の前を通って更に上を目指しますプンプン
しっかり舗装されてたので、必要ないかな…
くねくねとした道を登ると
なんじゃありゃびっくり
穴が空いてる!!
しかもデカい!?
もう少し登りつつ、参道には素晴らしい苔達
登りきった所は
こんな筒抜けの空間がありましたよ。
奥の洞窟には祠があるのかな!?
何でも“穿戸岩(うげといわ)”と言われ、
参道と神殿から真っすぐ伸びた延長線上にあるんだそう。
阿蘇山の神・健磐竜命の従者であった鬼八法師が
蹴破ったといわれており、大きな岩山を風穴が貫いていることから、
どんな困難でもやり抜き通せる象徴として、
この岩に触れると合格や必勝のご利益があるといわれているそうです。
確かに手で掘った割にはガタガタすぎるし、不思議な感じです。
この間を風が通り抜けてましたね!
そしてその横の洞窟には
見えますが!?
石が積んでありましたよ。

なかなか見応えのある岩でしたね。
コチラは無人だったので御朱印は頂けそうに無いので…

時間もあり、コチラヘ
“高森阿蘇神社”です。
鳥居の前にはりっぱな杉目
それが綺麗に並んでいます!
神社の前は田園風景。
別の所には乾門がありましたよ。
そして気になったのが狛犬
こんなに口開けてて、シーサーの様にかなり厳つい様な気がしましたね。

さて参拝。
■歴史
昔は神社の裏山の中腹にあったそうで、
元々、矢村社又は矢村大明神と称してたのこと。
 矢村社と称する由緒は
“健磐龍命 阿蘇国に降り国土開発の時住むべき宮居を定めんと
阿蘇山上に登り南北に向って卜矢を放つ、
その一矢は今の一の宮町(宮地)なる十二の宮の地に落ち、
一矢は南なるこの所の大石に当たり、
これ今の御矢村の石にして寸余にわたる矢じりの跡を残すという。   
ここに一社を建て神矢を納めて矢村社と称す。   
その矢朽ち果てたるにより、新たに神像を奉安してこれに替え鎭祭す”

なんのこっちゃ??
軽く解釈すると、
健磐龍命が阿蘇に降りられ、
湖水だった火口湖を乾かし、
中央の山から南北に向かって矢を放ったところ、
この一矢がこの地の大石にあたり、
ここに宮居を定められたとな。 だそう。

小さいの神社なのに、歴史もしっかりあり
拝殿及び本殿もしっかりした造りですねニコ
それにしてもこの杉に囲まれててスゴいなぁ~あせる
さて、ここまで来たら御朱印…
と思いましたが、なんかわざわざ伺ったり、
お呼びだしするのもねあせる
てことで、
貼ってあったコレでいいかイヒ

今回結構ゆっくり高森を堪能したのですが、
なかなか趣のある町なんですねルンルン
熊本の日本酒と言えば“れいざん”
蔵元はココだったのですね!
もちろん、買いましたけどウシシ

今回調べてたら、
“草部吉見神社”や“高森殿の杉”なんかが気になったので、
また機会があったら伺ってみよっと音譜