自費出版あれこれ


1 溜まりにたまった雑記や短歌

地方紙等に掲載していただいたものが溜まりにたまってしまいました。

放置したまま居なくなったら、家族が迷惑ですね。

自分で決着をつけなければなりませんが、大仕事です。

『本にしないの?』と、よく言われますが、ネットの普及で自費出版ブームは去ったように思います。


ある短歌の友も、自費出版等せずに、掲載作品等は段ボールに放り込んであるそうです。

私もその時どきに誰かに共感していただけばよく、出版は考えていません。

以前、図書館まつりに著名な歌人から軽トラ1台もの本が送られました。
各地の歌詠みさんからの自費出版本です。
豪華なビロードの表紙にカラー写真入り。
挟まれた『謹呈』の紙片もそのまま。
ご多忙で目を通す時間もなく、プレハブ一杯になったそうです。

私は出版しませんが、本に纏めることで、作者の想いがより一層鮮やかになりますから、書籍化はある面で意味があると思います。

2 共著本など。

新聞社などの呼び掛けに応じて書いた手記やエッセイが、共著という形で書籍化され、仲間に入れて頂きました。

原稿料は新聞掲載時に頂いてるので、出来上がった本が3冊送られてきました。


最初で最後のラブレター』は、他の方のエッセイに胸を打つ優れたものがあり、好評でした。

戦後50年関係の記録』も、大切な歴史の証人です。


たくさんの昨日とあした』は、創作童話を学んだサークルのアンソロジー(共著)です。

各人10万円ほど出し合って、地方出版社から出しました。

(講師が出版不況に苦労してる知り合いの出版社を手助けしたかったようです)

私の作品は、身近に題材を得た生活童話でした。あちこち配りましたが、素人の創作童話です。

贈られた人も、童話に関心がなかったりで、困惑されたようです😀


3 廃業に追い込まれたB出版社

文芸を主とするある出版社の童話コンクールに応募して『佳作』になったことがあります。

(大賞作品は、社から出版されるという話でした)


ある日、『○○万円負担なされば、社で加筆して、全国の流通ルートに乗る作品にします』と連絡がありました。

辞退しても、『長野のホテルにいます。出版しませんか?』と、2時間おきくらいに電話がありました。

間も無く、その出版社は廃業しました。

今でもあの日の切羽詰まった声を想いだし、胸が痛みます。


4 父の自分史

米寿記念に、父が我が家の歴史をありのままにまとめた薄い冊子。

私達のことも隠しだてなく書かれ、招待客や知人に配ったので嫌でしたが、今になると二度と聞けない貴重な記録です。

また、書の好きな父は数十本のお軸を書き、表装して、米寿記念の返礼品に加えました。

和室の少ない今、贈られても迷惑ですが、自費で、全て独りでやり抜いた父の真似はできません。


5 著名な女性?!

かなり前のこと、市外に住む地方紙読者仲間から『県内で活躍する女性を本にまとめたいから、協力を』と、連絡がありました。

彼女の知人が企画したらしく、出資者を求めていたのでしょうか?


活躍する信州女性として載る⁉️

只でさえ顰蹙を買ってる桐の花が!

そんなことをしたら、町中の笑い者になり、バッシングされます。


後日、誰もが『素晴らしい女性』と認める市内の知人も、(誘われたが、辞退した)と話してくれました。


そして、数年後、、。

図書館の10円古本市に『長野県で活躍する女性たち』というようなタイトルの大型豪華本が出されました。

開くと、この街からは私の先輩が載っていました。

太っ腹な彼女は、懇願されて協力なさったのでしょう。

地域で活動されてる名家の女性。

和服姿で琴を弾かれる1ページ大のカラー写真!


子どもや孫の初芸術品

これは、処分をためらいます。



カタクリ散歩道

太田に移住され、五束で活性化委員長をされてる信州大学のブナ博士井田先生からのご案内です。


外様郵便局のスタンプもカタクリ。



今夫の病院付き添いです

お友達の店で求めたお気にいりコーデをまとって来ました。

外出も減り、着る機会もなく、私もじき世を去りそうなので、着用しました。

ブロ友Pちゃんは『お気に入りの服を自宅でどんどん着なされ!女優になりなされ!』と。
でも、桐👵は働き者?故に、すぐ漂白剤を掛けたり、毛玉を作っちゃうの。

診察待ち時間に書いたので、粗い表現かもしれません。

お許し下さいね。

いつもありがとうございます。