★ 「誰も自分の体験からものごとを判断するんだよ」 ★

 

↑ 画像はテーマとは全く無関係のネモフイラ(最近はやりの花)

 

夫が元気な頃、よく私に言った言葉です。「人は自分の体験から、判断したり、ものを言う

私が、鼻の穴を膨らませて、あれこれ憤っていたときに・・。

ほんとだね~と、思い当たることが多いです。

 

① 知人が嫁さんについて嘆きました。

「家の嫁はね、サンマ一匹そのまま皿に載せて出すんだよ。普通2つに切るじゃない?」

(私の生家でも、切らない方式だわよ。有名料亭でも1本で出すわよ)とココロの中で。

{こういう出し方もいいよねぇ}と受け止めて欲しいです。

 

 

 

② 私が豆腐汁の豆腐を湯豆腐くらいに切って投入した時、親族に(無作法)と嘲笑されました。

(故郷では、盆正月に豆腐屋さんに大豆を持参。豆腐に加工してもらい、大きく切っておつゆに入れるのが大ごちそうだったよ)

 

 

③ 「門徒物知らず

浄土真宗派の家に育った友人が、曹洞宗派(禅宗)の家に嫁ぎました。

 

禅宗では、盆を迎えるときに施餓鬼供養をしたり、迎え火を焚いてご先祖様をお迎えします。

また、仏壇にキュウリの馬や牛を供え、盆棚を作ります。葬式や法事の慣習も丁寧です。

 

これに対し、門徒(浄土真宗の在家の信者)は、阿弥陀如来に対する信仰に頼り、仏教の作法は比較的簡略です。

で、友人はお姑様から「門徒物知らず」と、非難され続けたそうです。

 

↑ 市街地を托鉢する飯山の僧侶様  飯山の名カメラマンさん撮影

 

④ 昔、娘の都会のコーポ(1F)で、萎れた活け花を乾燥してからゴミ袋に入れようと庭に出したら、近所のエキセントリックなおかみさんが「そんなところに捨てなくても、ゴミ回収してくれるのに!」と怒鳴り込んできました。

(あら、ゴミ減量率日本一の長野県では、生ゴミを減らす努力をしていますよ)

 

⑤ 長野では、お茶飲みでジャボジャボ限りなくお茶を注ぎ足します。「お茶版わんこそば」です。

トークとともに湯呑みが空にならないうちに注ぐのが礼儀。

1杯注いで知らん顔は、「客に早く帰れ」ということになります。

他県からのお客さんは(一体いつまで飲んだらいいの?)と戸惑いますが。

 

しかしいつの日か、これは信州独特のお茶飲みの風習と知り、娘達に「継ぎ茶はマナー違反なの。それに、菓子・果物だけでなく、漬物・煮物・サラダ・佃煮・・あれこれ出すのもね。」と教えるはめになりました。

じゃぼじゃぼ継ぎ茶しながら・・。

 

 

でも、今でもこの辺りでは、お茶1杯にお菓子1個では、おもてなし精神に欠けるようです。

 

地方出身者が、都会でつい田舎の流儀を実施したとしても、物知らずとか非常識とか決めつけないでほしいですね。嘲笑されると、人間すくんでしまいます。

 

物事の行為の背後には、意味や思いもあるので、少し長い目で見てほしいですね。地方都会に限らず。

 

不寛容社会」と言われ、尖った物言いが気になります。物事にはいろんな見方があるし、無作法な言動の裏に意味がある場合もあります。今日もよくおいでくださいましたの~。

 

by いまだに物知らずの山里のばーさん