★ 「わしは、家がいいんだ」 ★

 

紅ばらも白ばらも見ぬ夫ツマのため冷やし中華にメロンとえびを

 

 

「輝きの6月」です。街中マチナカ散歩していて、またもや薔薇の家を発見。

 

 

雪による枝折れから守るために、軒下で育てています。消毒するんですね。

 

 

じいじは、病気でガッツが少し低下、また脊柱管狭窄症もあるので、お家がいちばんらしい。

美しい花々や新緑を見せたいですが・・。

せめて、ささやかな初夏らしい昼食を・・。

生協で届いたあらゆる食材をトッピング! 雑穀ごはんも豆ご飯に化けさせて。グラスの絵柄は露草。

 

★ 寺巡り遊歩道 & 出入り自由の20ケ寺 

 

 

新緑のカエデと苔が美しい称念寺様。

何人か観光客さんが訪れましたが、お参りされても、お賽銭を上げる人はいません。

どの寺院も、拝観料も取らず、「トイレも使って」と、おおらか。(拝観料を取ろうにも、人手不足で)

 

 

称念寺様の鐘楼と南隣の忠恩寺様の鐘楼(向こうに見えます)は、『双子の鐘』の如く、並んでいます。

もともとの鐘は戦時中に、供出されたのでしょう。

 

 

こんな風に、寺巡り遊歩道は、寺院と寺院を結んでいます。

たくさんの寺ができたのは、飯山城主は入れ替わりが激しく、代々の藩主が自分の菩提寺を建立したため、と言われます。

また、寺に囲まれた信心深い城下町ならば、敵方が攻めにくいだろうとの思惑があったとか。

 

 

我が家近くにある無檀家の臨済宗の禅寺・正受庵ショウジュアンです。(県史跡)

300年以上前に真田信之の子と伝えられ、飯山城中で出生した恵端禅師エタンゼンジ(通称・正受老人)が45年間母李雪と住んだ庵です。

正受老人は、臨済宗中興の祖・白隠に禅道を伝授、また、多くの弟子を育てた高僧ですが、松平藩主からの別離の記念に(寺を建立と寺領を寄進をしたい)との申し入れを断わり、上の写真の軒下に見える水石と城内茶室前にあったトガの木を所望しました。栂の木は本堂前に今もあります。

 

 

市内には、著名な歌人の碑がたくさんあります。

正受庵には、島木赤彦の歌碑。

 

石の上にさくらの落葉堆ウズタカし正受老人ねむりて在イマ

 

庵を護ってこられた先代の住職・『寛道』様は、檀家がないために、托鉢や僅かな寄進で質素な暮らしをされていました。妻帯もせず、保存会による水洗トイレ設置も断って・・。

癌死なされた後、無住でしたが、後を継いでくださる方が時々お見えだと聞きます。

 

正受老人と寛道さまは、栂の梢越しに変わりゆく寺町を見守っておいでです。

 

今日もよくおいでくださいましたの~。