「くめ」が日本の歴史に最初に現れるのは

『日本書紀』『古事記』の天孫降臨の場面の天津久米命(天槵津大来目)で、

大伴氏の祖神とされる天忍日命(アメノオシヒ)と共に武装して

瓊瓊杵尊(ニニギ)の先導をしています。

 

つまり、天皇家を最初から支えていたと伝えられているのです。

 

 

大伴氏と久米氏の関係を、

宝賀寿男氏は古樹紀之房間というサイトにおいて、

「姓氏氏族概観試論  (6)大伴氏族・久米氏族概観」

http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/sizokugairan/ootomo-k.htm

と題する記事に、次のように記しています。

 

○ 天津久米命後裔が「久米氏族」として一括される。この氏族は大和国高市郡久米邑を本拠とし、大伴氏族と警衛等の職掌上も、系譜・分布のうえでも密接な関係をもつ氏族であり、大久米命(道臣命と同人か)から出たと伝えている。大和朝廷における古氏族の一つであり、本来の姓氏は久米部か。また同国宇陀郡にも分岐して門部・漆部の職掌を、伊予・播磨等に分岐して山部の職掌を伝えた。

 

○ 久米氏族所伝の系図では明確ではないが、崇神前代ごろに大伴氏族と分岐した可能性が強く、それまでの各世代の先祖の名は大伴氏族の祖先の名と異なるものの、おそらく異名同人であろう。これらは安牟須比命の後裔とも称され、紀伊国造とも同族である。(引用終わり)

 

 

宝賀氏は、2013年に青垣出版から

『大伴氏―列島原住民の流れを汲む名流武門 (古代氏族の研究)

を出しています。

 

その150ページから「大伴氏一族の系図(試案)」が掲載され、

同祖から大伴、久米、紀伊国造、佐伯連が分岐する様子と、

誰が異名同人なのか、という宝賀氏の考えが理解しやすくなっています。

 

下に、152~153ページを引用させて頂きます。

 




 

 

 

 

『國學院デジタルミュージアム 万葉神事語辞典 大伴の氏の神』においても、

http://k-amc.kokugakuin.ac.jp/DM/detail.do?data_id=68353

「記紀は大伴氏の神祖として天忍日命・道臣命・日臣命を伝えるが、

家持は『大久米主』を神祖とする。」と結論付けています。

 

 

伊予来目部小楯は、皇子がいない第22代・清寧天皇の跡継ぎ問題に貢献します。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E4%BA%88%E6%9D%A5%E7%9B%AE%E9%83%A8%E5%B0%8F%E6%A5%AF

 

ところが、第25代・武烈天皇は後嗣なく崩御し、

本来は皇位を継ぐ立場ではなかった継体天皇が、

大伴金村・物部麁鹿火などの推戴を受けて即位したとされています。

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87

 

継体天皇は幼い時に父の彦主人王を亡くしたため、

母の故郷である現在の福井県坂井市丸岡町高椋で育てられたと伝わります。

 

同じく丸岡町上久米田1-1には久米田神社が座しています。

2021/07/18 追記】

久米田神社(福井県坂井市)の企業詳細 - 全国法人リスト (houjin.jp) には、

「福井県坂井市丸岡町下久米田11番地 」と記載されていますので、

修正致します。(追記終わり)

 

『延喜式神社の調査』というサイトの久米田神社の記事には、

http://engishiki.org/echizen/bun/ech310606-01.html

 

「当社は、天皇御即位の後、再び高向の里を訪ねられた継体天皇が

大伴金村大連のそのお働きに深く感謝され

建立されたと伝えられています。」等の神社由緒に合わせ、

「九頭龍川扇状地の北東端を限る山地の支稜先端部、

通称『陵山』と呼ばれる尾根筋の中腹に立地し、

境内からは、木の間こしに九頭龍川扇状地一帯を望むことができる景勝の地であり、

扇状地開拓の拠点にふさわしい地である。

『越前国官社考』に『里俗この陵山といふは

大久米ノ命を葬祀せし山にして、上代より御社はなく、

ただ一山を祀り、麓に拝所ありしといふ。』とある。」とも記しています。

 

 

『古樹紀之房間 上古史の流れの概観試論』には

http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/kodaisi/joukosi-nagare.htm

九頭竜神は、山部・久米部・佐伯部が先祖神として祀った旨が記されています。

 

 

継体天皇が現在の福井県に住んでいた時期と、

久米の入植と、どちらが早かったのか分かりませんが、

久米の歴史を追うと、治水と繋がることが少なくありません。

 

自衛隊が災害復旧で活躍することと、似ているような気がしています。