大切な仲間が亡くなって、この10日間、泣いたーー。

ショックだし、寂しいし、残念だし、悲しいし、

親より先に逝くんじゃないよバカヤローだし、

いろんな思いがこみ上げてきてはメソメソしていた。

葬儀式場には野球、箱根駅伝、サッカー、オリンピックの名実況、

バラエティ番組で進行する河村亮の映像が流れていた。

どれも、台本のない彼の言葉だった。

その表現力、語彙力、目の付け所、インタビュー、謳いあげ、

ストーリー構成、すべてが職人芸。

どれだけ取材し、訓練し、研鑽を積んできたことだろうか。

アナウンサーを極めたんだな。本当、すごいよ。

 

91年入社はバブル入社組ともいわれる。

とんでもなく勢いがあって、熱い同期が集まった。

中途採用組を入れると、70人あまり。

忘れられない新人研修は、箱根ー麹町100キロを仮装して歩くという

いかにも、体育会系テレビ局の研修。

チームを組んで、競い合ってゴールを目指すが、

途中で肉離れや足に血豆ができたりして、無念のリタイアとなる人もいる。

その仲間の思いを背負って、チームは前に進む。

私のチームは10メートルはある大きなこいのぼりの中に入り、

頭を出して、一列になって歩いた。

亮は「クリストに挑戦」チームで、なんとチョークで白線を引きながら

100キロを歩き通した。みんなバカです。

ゴールしたときは、みんな号泣し、健闘をたたえ合い、抱き合った。

同期の結束は、間違いなく、この研修が原点だ。

その時の様子は1時間枠の深夜番組で放送された。

90年代の自分の出演ビデオは、ほとんど捨ててしまったけれど、

これだけは、CDにして保存してある。私の宝物。

それぞれの部署に配属された後は、アナウンス新人4人には

さらなる研修が待ち受けており、まあ、よく泣いた。励まし合った。

 

この20年は、亮とは数えるほどしか会っていない。

だけど、あの時代、プロになる険しい道のりを

前に進もうとひたむきに努力し、一緒に懸命に頑張った。

私含め、途中で別の道に進んだ者もいるけれど、

同じ釜の飯を食った仲間というのかな。

いつもどこかで互いの活躍を嬉しく、誇らしく思い、

応援している仲間であることは確か。私も負けてられないって思ってた。

 

河村亮は、三度、一命を取り留めるぐらい、

最後の最後まで生きようと闘ったという。

やりたい実況は全部やったんだよなあ、と言っていたとも。

「大満足な人生、大満足なアナウンサー人生でした」

という喪主の言葉に、私も大きく頷くしかない。

この世に生まれてきたことがまず奇跡で、

限りある人生を全力で駆け抜けたんだと思うと、

心から拍手したくなるような気持ちにもなった。

 

河村亮、かっこよかったよ!

ゴール地点で、待ってろよー。

2022年5月22日の空

河村亮の実況が大好きだった上浩司くんママ撮影