去年もこの時期、立教の講義はオンラインでした。
その時は、まさかまたオンラインでやるとは思ってもいませんでした。
聞くと、立教は基本オンラインだったので、大学に入ったものの一度も大学に来たことがない学生、
同級生の顔を見たことがない学生が続出しているとか。
なんということでしょう。
中高は、普通に授業やっているじゃないですか。
大学生の、貴重な貴重な1年を、鬱々とした状況で過ごさせなければならないとは。
我が家にも、大学1年と高校2年の子がいるけれど、普通に授業に行ってるけど、
大学によって、対応が違うのですね。立教は厳しいなあ。
池袋という場所柄、警戒する気持ちもわかりますけれど、学生かわいそうだなあ。
早く、普通に学校に通えるといいですね。

さて、私は、家のWifiはどうも途切れがち。

古いマンションなので光ファイバーにならないのです。

完全に世間のデジタルの流れに乗り遅れています。

というのもあるけれど、誰もいない家から一人で送信するなど、私にはできそうもない。

やっぱり、誰か聞いてくれている人がそばにいるからこそ、言葉になるものです。

私は、ずっとカメラの前で話すのが苦手です。

アナウンサーだったくせにまさか、と言われそうですが、本当です。

魂の講義。

私からの遺言。

自分の体験を、真摯に丁寧に話したつもり。

「ボランティア論」の講座の一コマでした。

私のボランティアらしいボランティアは、Springでのロビイング活動だと思う。

でも、その活動はもう辞めました。

要望書を作成し、橋本聖子さんに渡して、自民党の骨太の方針に入った。

それを見届けたので、あとは、詳しい人に託そうと思いました。

 

私は、古いジェンダーの価値観の中で生きてきて、男社会の論理に染まっていると感じることがある。

影響力のある某氏が時代遅れの発言をするとフェミニストが一早く気づき声をあげるわけだが、

私はすぐに反応できないでいる。

性的同意の概念も、学生さんが中心になって作成した冊子、を読んで、

そうだったのかーと勉強させてもらっている。

30年前に、こんな考え方に出会いたかったよ。本当に。

 

この問題は、私の出る幕ではない。

私は、そろそろ次のことをやるのだ。

育児ももうあと数年で終わりが見えてきた。

このブログにも書いたことがあるけれど、私は里親になりたいと思っている。

子どもには、守ってあげる大人が絶対に必要。私は一人でも多くの子どもを守りたい。

また、私が誰かを支えるということは、結局、私が支えられることでもあると、育児を通じて学んだ。

子育ては、支え合うこと。誰かのために動くことは、自分のためだということ。

 

育児の経験を、社会的課題の解決に向ける。

これこそ、プロボノ。プロボノとはラテン語で、「pro bono publico=公共のために」

職務上の専門知識・技術を生かして行うボランティアのことなのだが、育児も20年もやれば専門家だ。

その知識を、社会に向けることができればいいなと思う。

育児経験のない人が里親になることもよくあるので、その里親を支援する人になる、とか。

育児する余裕がなく大変なご家庭にいって家事を手伝ったり、子どもの勉強をみたりとか。

外国人の家庭に行って、日本語を助けてあげることもできるだろうな、とか。

晩御飯を作りにいったり、うちで食べさせたりもできるかな、とか。

 

すでに、そういう活動をしているNPOはいくつかありました。

まずは、一歩、踏み出しました。

地域のつながりもできそうだし、いいかな~と。