光浦靖子さんの記事を読んだ。
結婚もして、子どもがいて、世間的には一応仕事も活動も充実しているかにみえて、お前に何がわかるって言われそうだけど、心に刺さりました。バックグラウンドは全然違うけれど共感。
口に出したくはないことだけど、自分では気づいている。私は、自分のことを全く評価できずにいる。私の場合は、思春期の性暴力、挫折、非行が絡んでしまったので、病的なまでに自己評価、自尊心が低い。後遺症ってやつだ。何とか治したいと思っているが治し方がわからない。
みんなにできることが私にはできない。その感覚は、アナウンサー時代に強くあったなあ。私は言葉のキャッチボールがとても苦手で、新人の頃は、そのとんちんかんぶりが「天然」などという便利な言葉で面白がられていたところがある。でも、新人でなくなってからは、単にしゃべりの下手なアナウンサーだった。
一つのことをやり続けて、自分の才能のなさを知るのがこわくて、いつもどこかで方向転換をしてしまう。私も常に新たなチャレンジばかり。好奇心旺盛、何でも楽しんでしまう私って素敵。そんなテイを装いつつ、実のことろ、何かに逃げ続けているのだ。
わかっている。私はそれがしたいわけではない。本質はそこじゃない。そこに手を出しても私の苦悩は何も変わらない。でも、無理やり、自分に無理目なハードルを設定して、乗り越えることを繰り返すことでしか、自分を評価してあげられないのだ。へえ、すごいね、って誰かに言われないと自信がもてない。言われると、少しの間、自分は価値のある人間かもしれないって思える。
ああ、しんど。
人間は、世界を見るために生まれてきたんだよ(「あん」より)
生きてるだけで丸もうけ(サンマさん)。
そんな言葉に感動しつつ、子どもに命は尊いものだとエラそうに語りながら自分は一体なんなんだ?なんでこんなにジタバタしているのだ?
もっと自然に、頑張らないで生きてみたい。でも、頑張っている状態を作っていないと、私はたちまちアルコール依存症になるだろうことは目に見えている。だから、死ぬまで、チャレンジするしか選択肢がないじゃないか。
私のような面倒くさい人は、つまるところ、世のため人のためになることをし続けることが一番いいのではないかと思う。人の為と書いて、偽り。そう、人の為は自分の為だ。
本当に自分のやりたいこと、なんてたぶん何もないんだもの。
でも、本当にやりたいことじゃなくても、ちょっと心にひっかかったものがあれば、片っ端から無駄だとわかっていても首を突っ込んでかじってみてもいいか。後に残るのは、中途半端にかじられた屍かもしれないが、かじらないとその味はわからない。知らないままより全然いい。
そうか。これでいいのだ。
光浦さん、ありがとう。ちょっと素直になれた気がする。