2001年9月11日から今日で19年。
なんと、来年は20年か。もうそんなに経つのだね。
 
テレビで、貿易センタービルに飛行機が突っ込むのを目撃した、同時多発テロの日。その翌日から、私は外務省から防衛省担当となり、今の夫と出会うことになったので、私にとっては分岐点ともなった日。
 
そして、もう一つ。
この日が米森麻美さんの命日。それを知ったのは、ずいぶん後になってお墓に行ってからのこと。アナウンス部の何人かは、通夜、葬儀に参列したそうだが、私や永井さんのところには何故か連絡が来なかった。ちゃんとお別れもできず、米さんロス、続いたなあ。いや、今も続いている。
 
後にも先にも、お腹がよじれて涙が出るほど笑いあった経験を共有している人は他にはいない。私にとっては心許せる唯一無二の人だった。
夜討ち朝駆け、週1で泊まり勤務という過酷な警視庁クラブの記者をやっていた時は、昼間の警察署回りの合間に、突然、米さんの家に押し掛けることもしばしばあった。いつも、歓迎してくれて、私の泣き言をふんふん聞いてくれて、おいしいものを食べさせてくれて、体にいいといわれるお茶やサプリをもらったり、仮眠させてもらったりしていた。家には必ず花がたくさん活けてあった。
 
米さんは、正直で、曲がったことが嫌いで、何事にもポジティブで、明るくて、自信に満ちていて、お茶目で、努力家で、私にはまぶしすぎる憧れの人だった。私は、米さんを見ているのが好きだった。同性ながら私は米さんに惚れていた、もしかするとそれは恋?と思えるほど。
 
もう一度、会いたい。
そう何度、強く思ったことか。
何度、夢に出てきたことか。
どんだけ泣いたことか。
気づいたら、私はいつも米さんと心の中で話をしている。
人は死んでも、誰かの心の中で生き続けるというのはこういうことだろうか。
 
でもなあ。
やっぱり、寂しいのは変わらない。
もっと一緒にいたかった。
50代、60代と歳を重ねた米さんと一緒にいたかった。
 
いつまでもそばにいて、ほしかった。
みんなの中に私はいます。
 
って。
そんなあ。
つれないわー。
たまには夢でもいいから戻ってきてよう。
待ってるでえ。
 

 
 
image