完成から3年目にして、ようやく栗生楽泉園の重監房資料館に行ってきた。
谺さんも、鈴木幸次さんも桜井哲夫さんも、もうこの世にいない。
訪ねる人もないのだけど、ともかく、行かねばならぬと思っていた。
新宿バスタから、4時間で草津温泉。
バスターミナルから、国道をてくてく、てくてく、てくてく、てくてく。
すれ違う人はいない。ときおり、車が通り過ぎる。
火葬場、終末処理場を過ぎると、コーンウォールリー氏の墓。
さらに、公務員宿舎があって、到着。
ああ、人里離れた場所って感じ。徒歩40分。
ここは、重監房跡。
熊笹がカットされ、人が歩きやすいようにけもの道が整備されていた。
柵がつくられていました。保存するから中には入らないで。
さて、資料館は、門を通り過ぎた先から入ります。
資料館では、まず、ハンセン病の基礎知識と
重監房は何故、何のために作られたか。
どんな人が収監されたかということをコンパクトにまとめた
VTRをみます。とてもよくわかります。
そして、再現された重監房へ。
部屋に行くまでに、三重もの扉を入らなければなりません。
いちいち、南京錠、かんぬきがかけられるという厳重さです。
冬はマイナス20度。監房の部屋の外も雪が積もります。
トイレの汲み取り口は外とつながっていて開いているので、
ほぼ、外気温と室内は変わらないと思われます。
小さな明り取りが一つあるだけで、ほぼ真っ暗です。
くつを脱いで入ることもできたけれど、とても、そんなことはできない
ぞっとする空間でした。
偽物だとわかっているのに、耐え難い恐怖を覚えました。
監房の中の遺体を運び出そうとしても、布団が凍り付いて
べりべりとはがすのが大変だったとか、
苦しんで亡くなるので、体が曲がっていて、扉から出せなくて
大変だったとか、
当時の証言がたくさん残っていました。
改めて、そこに収監された人、一人一人の経歴、
死因、罪状(!?)を見ました。
警察によって集落ごと解体された九州の本妙寺部落から
送られてきた人がたくさんいました。
洗濯場主任で、ストライキを要求した人や
窃盗、詐欺とは書かれているが、それもでっち上げとみられる容疑で
なぜか、その奥さんも入れられていました。
日本人が、こんなに残酷なしくみを考えたとは信じられない思いです。
10年前、ポーランドのビルケナウ収容所(アウシュビッツ)を見てきましたが、
規模は違えど、同じです。
「日本のアウシュビッツ」と呼ばれたのもうなづけます。
戦争、優生思想、民族浄化、祖国浄化、
そんな価値観が人間を支配するととんでもないことが起きるのです。
資料館を出ると、入所者が育てたバラが見事に咲き誇っていました。
どんなに自由を奪われようと、人権を奪われようと、人間の心までは奪えない。
隔離されていても色鮮やかな心の営みがあったことだろうと思います。
翌日、曹洞宗の研修会で講和をさせていただきました。
なんと、お釈迦様を背に話をしています。
これだけの僧侶の方々が一堂に会する絵は、なんだかとても
迫力があります。
えらい方々だということは存じておりますが、大変僭越ではございすが、
取材者としてみた仏教について、率直に話をさせていただきました。
法華経の中に書かれている、「前世の行いが悪いから現世でらいになる」
という文言。ここから派生して、ハンセン病や、身体障害者や、精神障害者や
被差別部落にいたるまで、さまざまな差別を生み出してきたこと。
人の平等を説くのがお釈迦様の教えだと思っています。
仏教の方々には、差別をなくすために先頭に立って活動をしていただきたい
強い思いがあります。
宗教者の発言は、とても重みがあります。
ありがたいお言葉として受け止めます。だからこそ、
間違いを繰り返してほしくないのです。
でも、この20年、仏教界が、過去を反省し変わろうとしているのは知っています。
そこが、私にはすごいことに思えます。
自己批判をして、変革を目指す宗教がこの世界に他にあるだろうか。
日本だからこそ。日本の柔軟な仏教だからこそ、今の人権感覚を
取り入れながら、人々に支持され、尊敬される仏教になれるのだと思います。
僧侶は、全ての人に幸せに生きる権利があることを知らしめる
活動家であってほしいと願っています。
自分の祖先がお世話になっている仏教を嫌いになりたくない、と思っています。
「人は何故生きるのか」
「生きる意味を教えてください」
僧侶に問いかけました。その場では、積極的にはお話をしてくださいませんでした。
でも、早速、私のもとには、個人的に感想やご意見が届いています。
ありがとうございます。
お話しさせていただいたことで、私も成長したいと思います。
感謝。合掌。