しかし、物心がつく前に両親が離婚。理由はわからないが、僕と姉は母方に引き取られることになる。この頃から、小学生ながらも生活基準の低下を察し始め、親に甘えることは『悪』だと思いだしていた。実際オカンは僕達を育てる為に朝から夜中まで働き、その間はおばあちゃんがずっと面倒を見てくれていた。
そんな生活がしばらく経った頃、家に見知らぬ男性が出入りするようになる。のちの今の父親になる人だ。当時は状況とかもわからず、旅行に連れてってくれたりと、可愛がってくれる人という認識。そして間もなく正式に父親になるって言われた。正直嬉しかった。これでオカンの負担が減る。そのことがとにかく嬉しかった。当時小学1年生。
父ちゃんとの関係性はあまり良くなくて、とにかく厳しい。今となれば当たり前やけど、食べる時の姿勢や礼儀、礼節、毎日毎日怒られて泣きながらご飯を食べて正直辛かった。そんなこともあり、なかなか心を開くことができず、それでも我が家には立派な大黒柱としての父親の存在があった。
小学校4年生に上がる頃、野球を始める。ただただテレビで見る選手に憧れ、始めた。父ちゃんも社会人まで野球をやっていた人で、試合にも毎週足を運んでくれ、練習も見てくれ、父親としての尊敬というより、野球人としての尊敬がこの時から芽生える。それでも家では厳しい父親でなかなか心を開くことはできなかった。
野球以外の学校生活はというと、クラスでは人気者とまでは決して自分では言えないが、誰よりも元気で、授業中に積極的に発言したり、昼休みになれば運動場を走り回っていた。そして、クラスの学級代表をやったり、発表会や運動会では実行委員を任されたりなど、自分の意見を他人に伝えることに快感?みたいなことを感じた。
しかし、そんな学校生活とは裏腹に、家では
父ちゃんの言うことは絶対。例えおかんが味方につこうが説得しようが変わることは一切無かった。そう、まるで軍隊かのように。内心思っていることがあっても口にできない。一種の恐怖に似ている感情がどうしようもできなく、毎日のように泣かされていた。でも、泣かされてたって言うと少し語弊があるかも知れないので、物事の筋が通り過ぎていて言い返せない自分に腹が立っていた。という表現が適切かなと思う。
そう、恐怖はあるものの、筋が通ったことを言っていることは理解できたので、嫌いにはなれなかった。自分の中で絶対に父ちゃんは僕のことを思って言ってくれてる。そう信じたかった。
当時僕が説教されてるとこをおかんが目撃すれば、泣いて父ちゃんに「この子をそんなにいじめやんといて」と何度も言い合いになっていた。
それくらい僕に対しては厳しい父ちゃんだった。
もちろん姉にはそこまでは厳しくないがごく普通に育てられていた。
伝えるのを忘れていたが、僕には6つ年下の妹もいる。育ての父との子。(父ちゃん)ずっと弟が欲しいと思っていたが、妹も本当に可愛い。でも当時の僕はとてもじゃないが、良いお兄ちゃんだとは決して言えなかった。
妹は何も悪いことしてないのに、恵まれた環境かはわからないが、何不自由ない環境に産まれたことに嫉妬というか、なんていうか、単純に羨ましかったのかもしれない。僕は厳しく育てられてた故に、学校を休めば外食は留守番。家事を手伝わなければ険悪なムードになったりと、義務的なことに追われ、父親に甘える。ということをやった覚えがなかった。
それに比べ妹は楽しそうに会話していたり、父方の親族からは愛され、僕には見せたことのない笑顔で接する父ちゃん、父方のおばあちゃんの顔を見て、めちゃくちゃ寂しい思いをしたのを思い出す。
結局血か!!!
それを言ったら終わり。
わかってた。
わかってたけど‥
僕と父ちゃんには血の繋がりはない。それでも心のどこかには信じたい気持ちはあった。
そんな中でも自分を自分で居させてくれたのが野球だった。割と運動神経は良い方で、チームでも中心人物だったし、そこには僕の居場所があった。大好きな野球、それと同時に父ちゃんもやっていたこの野球で! この野球で絶対認めさせたる! その想いだけで僕はみるみるうちに上達した。
中学校に上がる頃にはプロ野球を本気で目指していた自分もいた。中学校ではキャプテンを任されたり、後輩に慕われ始めたりもあって少し自分に自信がついてきた。それでも父ちゃんに意見することはできなかった。僕にとってこの壁が1番高くもあり、いつか超えなければならない壁だった。
そんなある日、僕は野球を突然やめた。
‥‥
‥‥
自分でも想像していなかった。特に理由は無い。ただ単に逃げたかっただけ。
突然襲った無気力感。なにをしても報われない感が尋常じゃないくらい自分に襲い、学校も休みがちになり、気付けば近所のたまり場に行き、気付けば1日が終わっていた。
そんな生活が半年近く続き、僕は中学校2年生に上がる頃、周りが野球をしていない僕への対応が冷たくなったことに気付く。今まで何があっても僕の味方だったオカンまでも口も聞いてくれない状況。
このままやったらあかん。
そう思った僕はもう一度野球を始めた。
今思えば自分でも凄いなと思うけど、やめたくなったらすぐやめて、戻りたくなったら戻って。それが許されるのは‥‥後は言うまでもなかろう。
野球を頑張ってればみんな応援してくれる! 自分で自分の居場所を奪っていた。そのことと、頑張っていた野球のブランクに後悔はしたものの、遅れた時間を取り戻す為にがむしゃらに打ち込んだ。
そんな努力もあって高校の受験では野球推薦の話しもちらほらあった。もちろん野球推薦で高校に行く気満々だった。その野球推薦の奨学金の話しでスカウトマンとご飯に行く機会が何度かあった。そこでする行動は普段家でやってることを実践。
席に着くのはもちろん最後。
料理が揃い、箸を持つのは最後。
人の目を見て会話する。
挙げるとキリがないが、普段父ちゃんから言われ続けてたせいか、常識が体に染み付いていた。
それを見たスカウトマンが、「それ誰に教えてもらったの?」矢吹「父ですが、なにか至らないところがありましたでしょうか?」返ってきた言葉が、「素晴らしいお父さんやな!君見ただけで、お父さんがどんな人かすぐにわかった。君ならうちの高校でもやっていけるね。学費全額免除するよ。よろしく。」
えええええ((((;゚Д゚)))))))
そんなんで免除なんの?((((;゚Д゚)))))))
驚きが大きかったが、それより父ちゃんに言われてきたことを実践しただけで他人に認められたことが何より嬉しかった。
なんでこんな厳しくされなあかんの?と、ずっと思って大きくなって、でも全てこうゆう時の為に、僕の為に教えてくれてたことで言葉では言い表されへんけど、感動が半端なかった。
その日から父ちゃんへの尊敬が、野球人のみならず、父親としての尊敬も、芽生えた。そのことだけではなく、野球を社会人までしてたのは、野球してた人にはわかると思うけど凄いことで、それだけで信用ができたり、ましてや血の繋がってない2人の子供がいるおかんと結婚して、僕たちをここまで育ててくれて、同じ男やけど、よう真似はできやん。
そんな父ちゃんに尊敬するのは当たり前やろ!
絶対父ちゃんみたいな人間になる!
この日から大きな壁が壊れ、初めて親子になれた気がした。
父ちゃんありがとう。
しかし、事件は起きた。
続
