まいど!
ここまでの経緯のつづき
パチンコ屋の社員として
東京出店の立ち上げメンバーに
選ばれた僕は、上京してバリバリ
ひたすら働いていた。
そんなある日珍しく朝起きれなくて
寝坊をしてしまった。
やっぱり疲労がたまっているんだと思い、
反省はしていたものの
あまり気にしなかった。
それからはというものの
毎日体が重くて、だるくて
なにもやる気が起きない状態が
続いた。
上にあがるぞって気持ちだけで
今日を生きるのに必死だった。
例えるなら
しぼっても何も出てこない
水分が無くなったスポンジのようだった。
そんな状態はもちろん長続きする
はずもなく、
気付いたら病室の中にいた。
栄養失調と過労で倒れたのだ。
点滴と薬によって
体調は良くなったが、
上京当初60キロあった体重が
50キロまで落ちていた。
(身長175センチ)
そりゃ倒れるわって自分で鼻で
笑うも、完璧に働くメンタルが低下していた。
当時の感情は、もう大阪帰りたい。
逃げたい。
上にあがりたいって気持ちは
あるけど、もう無理や。
耐えられへん。
もう一度お尻叩いて
頑張る選択肢は導けなかった。
そのまま退社し、大阪に逃げ帰った。
退社して気付いたが、
目の前のしんどさに逃げたくて逃げたくて
たまらなかったが
いざ、逃げ帰ったところで
やりたいことが見つからない。
そう、やりたいことがなくて
この先どうしよ?という不安と
後悔で毎日が何も充実しない。
その時初めて、なにか一つの
ことに向かって全力で頑張ることって
素敵なことやったんやなって感じた。
だからといってあの時は
逃げたくて逃げたくて‥
ここが自分の弱さ。
しかし僕が逃げて帰ってくることは
両親はわかっていたという。
親は子を良く見てるよ。
社会の厳しさを1番わかって
いる父ちゃんからすれば、
考えが甘いのも見透かされていたし、
そのしんどさを何回も乗り越えなければならないってこともそうだが、今子供を授かって父親に
なっていたとしたらもちろん嫁さんと子供を食わせていけない状態である。
こうゆう自覚がまったくなかったし、
自分のことしか考えていなかった。
結論今は1人身やからそれでも
許されるけど、1人じゃなかったら
引きずり回してでも東京返してた。
と、言われた。
それからはというものの、
やっぱりしたいことが見つからず
毎日朝から晩までパチンコ屋通いが始まった。
当時の立ち回りは基本的に
海シリーズ中心に稼働しており、
強い日にはスロットのイベントや
グランドオープン巡りをしていた。
当時は正攻法という単語は知らなかったが、正攻法と社員時代に勉強した内容を打ち手側で実戦し、順調にプラス収支をあげれていた。
今日はここまで!
次回
運命?偶然?
次回もお楽しみにm(__)m
今日は渋谷でフットサルしてきたよ(*^o^*)
やっぱり体動かすのは楽しいね|( ̄3 ̄)|
日曜日は野球もあるし
毎日楽しく過ごせてます♡
おじゃん
