まいどーo(^▽^)o
ここまでの経緯のつづき。
パチンコ屋の社員になったところから。
社員になって、より数字的+経営的に
パチンコのいろはを学び
どうすれば店の利益になるのか?
どうしたら打ち手の利益(還元)に
なるのかなどの理屈を学び、
実際の公式というか、方程式
というものを学んだ。
調整的にやはり店が得することが
ほとんどではあるが、
その中でも2割~3割は
打ち手に還元する仕組みがあった。
それをプロ集団は見逃さない。
そんな姿も店員の立場から見て、
やっぱりパチンコは勝てる。
そう確信した。
実際に自分がプライベートで
打ちに行っても勝てる自信があった。
こうなればもうパチンコがおもしろいとかのレベルではなく、生活の一部としての考えがあった。
当時から負けず嫌いの性格の為、
同期の社員とのライバル心が
とてつもなく強く、
残業なども進んでやっていた。
早く上にあがりたい。
主任→店長→役員→社長
という人生設計を本気で考えていた。
そんなこんなで
入社半年が経った頃に
東京に初出店が決まった。
そこの立ち上げメンバーを
本部から招集があり、そこに選ばれる
=有望株(期待)であった。
結果は若さと勢いを評価して頂き、
そこの立ち上げメンバーに
選ばれた。
これが初めての上京だった。
当時19歳。
1人暮らしもしたことがなく、
ましてや見ず知らずの土地に
知り合いがまったくいない環境。
正直めちゃくちゃ精神的に辛かった。
でも、出世のために僕はひたすら
働いた。
当時の勤務時間というと
朝の6時には出勤し、夜中の4時過ぎに家に帰ってくるという、ありえないくらいの労働時間。
しかし、グランドオープンの店の社員なんて、大抵そんなもんだ。
楽して成功なし。
やることが次から次へと
出てきて終わりなどない。
逆に接客業として
やることが無くなったらそれこそ致命的。
ともあれ、そんな努力も実り、
無事グランドオープンは成功した。
しかし休みなどある訳がない。
いろいろセクションで
決めたことも、営業が始まれば
より良い方法を考え、そして
行動していく。
くどいようだが、
接客業に終わりはない。
でもその頑張りはもちろん
上司は見てくれていて
これを乗り越えたら!
ってゆうところで
またしても事件が起きた‥
今日はここまで!
次回
限界のその先
次回もお楽しみに!
