もう何がおもろいのか早く言いたいねんけど言ったら怒られるから来月号以降のパチマガ本誌を確認してね(⌒▽⌒)
明日は高尾さんのショールームで
美男ですねの試打をしてきます|( ̄3 ̄)|
矢吹はブサイクですね。←やかましいわ。わら
さて、前回の続きを書かせて頂きます。
前回?
ん?
なにそれ?
って思った人は一個前の記事から是非ご覧ください。
父ちゃんを野球人としては尊敬してたが、それでもなかなか心を開けなかった。
野球以外での学校生活はというと、
クラスでは人気者とまでは決して自分では言えないが、誰よりも元気で、授業中に積極的に発言したり、昼休みになれば運動場を走り回っていた。
クラスの学級代表をやったり、発表会や運動会では実行委員を任されたりなど、自分の意見を他人に伝えることに快感?とまでは言わないが、自分の意見を周りに認めてもらうことの喜びが当時はあった。
しかし、そんな学校生活とは裏腹に、家では
父ちゃんの言うことは絶対。
例えおかんが味方につこうが説得しようが変わることは無かった。
そう、まるで軍隊かのように。
内心思ってることがあっても口にできない。
一種の恐怖に似ている感情がどうしようもできなく、毎日のように泣かされていた。
でも、泣かされてたって言うと少し語弊があるかも知れないので、物事の筋が通り過ぎていて言い返せない自分に腹が立っていた。という表現が適切かなと思う。
そう、恐怖はあるものの、筋が通ったことを言っていることは理解できたので、嫌いにはなれなかった。自分の中で絶対に父ちゃんは僕のことを思って言ってくれてる。そう信じたかった。
当時僕が説教されてるとこをオカンが目撃すれば、泣いて父ちゃんに「この子をそんなにいじめやんといて」と何度も言い合いになっていた。
それくらい僕に対しては厳しい父ちゃんだった。
もちろん姉にはそこまでは厳しくないがごく普通に育てられていた。←はずだったが姉の心の闇も相当深く、またそのことは順を追って書こう。
言うのを忘れていたが、僕には6つ年下の妹もいる。育ての父ちゃんとの子。
ずっと弟が欲しいと思っていたが、妹も本当に可愛い。
でも当時の僕はとてもじゃないが、良いお兄ちゃんだとは決して言えない。
妹は何も悪いことしてないのに、恵まれた環境かはわからないが、何不自由ない環境に産まれたことに嫉妬というか、なんていうか、単純に羨ましかったのかもしれない。
僕は厳しく育てられてた故に、学校を休めば外食は留守番や、家事を手伝わなければ険悪なムードになったりと、義務的なことに追われ、父親に甘える。ということをやった覚えがなかった。
それに比べ妹は楽しそうに会話していたり、父方の親族からは愛され、僕には見せたことのない笑顔で接する父ちゃん、父方のおばあちゃんの顔を見て、めちゃくちゃ寂しい思いをしたのを思い出す。
結局血か!!!
それを言ったら終わり。
わかってた。
わかってたけど‥
僕と父ちゃんには血の繋がりはない。
それでも心のどこかには信じたい気持ちはあった。
そんな中でも自分を自分で居させてくれたのが野球だった。
割と運動神経は良い方で、チームでも中心人物だったし、そこには僕の居場所があった。
大好きな野球。それと同時に父ちゃんもやっていたこの野球で!この野球で絶対認めさせたる!
その想いだけで僕はみるみるうちに上達した。
中学校に上がる頃にはプロ野球を本気で目指していた自分もいた。
中学校ではキャプテンを任されたり、後輩に慕われ始めたりもあって少し自分に自信がついてきた。
それでも父ちゃんに意見することはできなかった。
僕にとってこの壁が1番高くもあり
いつか超えなければならないとはわかっていた。
そんなある日、僕は野球を突然やめた。
‥‥
‥‥
自分でも想像していなかった。
特に理由は無い。
ただ単に逃げたかっただけ。
突然襲った無気力感。
なにをしても報われない感が尋常じゃないくらい自分に襲い、学校も休みがちになり、気付けば近所のたまり場に行き、気付けば1日が終わっていた。
そんな生活が半年近く続き、僕は中学2年に上がる頃、野球をしていない僕への対応が冷たくなったことに気付く。
今まで何があっても僕の味方だったオカンまでも口も聞いてくれない状況。
このままやったらあかん。
そう思った僕はもう一度野球を始めた。
今思えば自分でも凄いなと思うけど
やめたくなったらすぐやめて、戻りたくなったら戻って。それが許されるのは‥‥後は言うまでもなかろう。
野球を頑張ってればみんな応援してくれる!
自分で自分の居場所を奪っていた。
そのことと、頑張ってた野球のブランクに後悔はしたものの、遅れた時間を取り戻す為にがむしゃらに打ち込んだ。
そんな努力もあって高校の受験では
野球推薦の話しもちらほらあった。
もちろん野球推薦で高校に行く気満々だった。
その野球推薦の奨学金の話しでスカウトマンとご飯に行く機会が何度かあった。
そこでする行動は普段家でやってることを実践。
席に着くのはもちろん最後。
料理が揃い、箸を持つのは最後。
人の目を見て会話する。
挙げるとキリがないが、普段父ちゃんから言われ続けてたせいか、常識が体に染み付いていた。
それを見たスカウトマンが、「それ誰に教えてもらったの?」
矢吹「父ですが、なにか至らないところがありましたでしょうか?」
返ってきた言葉が、「素晴らしいお父さんやな!君見ただけで、お父さんがどんな人かすぐにわかった。君ならうちの高校でもやっていけるね。学費全額免除するよ。よろしく。」
えええええ((((;゚Д゚)))))))
そんなんで免除なんの?((((;゚Д゚)))))))
驚きが大きかったが、それより父ちゃんに言われてきたことを実践しただけで他人に認められたことが何より嬉しかった。
なんでこんな厳しくされなあかんの?
でも全てこうゆう時の為に、僕の為に教えてくれてたことで言葉では言い表されへんけど、
感動が半端なかった。
その日から父ちゃんへの尊敬が、野球人のみならず、父親としての尊敬も、ものすごくうまれた。
そのことだけではなく、野球を社会人までしてたのは、野球してた人にはわかると思うけど凄いことで、それだけで信用ができたり、
ましてや血の繋がってない2人の子供がいるオカンと結婚して、僕たちをここまで育ててくれて、同じ男やけど、よう真似はできん。
そんな父ちゃんに尊敬するのは当たり前やろ!
絶対父ちゃんみたいな人間になる!
この日から大きな壁が壊れ、初めて親子になれた気がした。
父ちゃんありがとう。
しかし、事件はおきた。
怪我だ。
肘をやってしまった。
前々から気にはなっていたけど、
他の連中に差をつける為に、過度な練習を続けてしまった。
肘の軟骨が剥がれて神経を傷つけ、痛みが引くのは早くても3ヶ月。
完璧に治ることは一生ない。
そうはっきり医者に言われたことは今でも記憶に残る。
そのことを隠すこともできず、野球推薦の話しは全て水に流れ、絶望しか残らなかった。
それでも思っていたことは、普通の人間にはなりたくはない!!!
普通に高校に行って、普通に就職して、普通に死んでいく。そんな人生は嫌だ!
ならどうする?
僕には野球はもうない。
野球以外に何が残る?
野球しかしてこやんかったのに何ができる?
考えてもなにも出てこなかった。
んじゃ今頑張れば誰でもできることはなに?
‥
勉強。
勉強は苦手だった。笑
でも、もう僕には勉強しか残ってない。
次の日、塾に通った。(11月)
受験までもう時間が無い。
当時5教科合計150点未満だった僕。
死ぬ気で勉強した結果なんと!
学年末テストでは5教科合計450までUP⤴︎
振り返るとあの時のしんどさは二度としたくない。そう思うくらい辛かった。
そのおかげで進学校の私立高校に入学が決まり、晴れて高校生となった。
今日はここまでm(__)m
結構、がぁーーーーーーーーー!
って書いてしまったけどちゃんと伝わったかな?(´・Д・)」
次回は高校入学、そして卒業してからようやく今にあたるところなんで是非また見てくださいねm(__)m
ありがとうございました。
おじゃん。
