日本一数の多い千葉県の前方後円墳を見に行く | やべちゃんのブログ

1はじめに

 ヤマト王権の象徴である前方後円墳は3~7世紀(古墳時代)に

築造された。大型の物は近畿地方に多いが、関東では、前方後方墳

が豪族の墓に採用された。

 近畿地方で大型の前方後円墳を作らなくなる6世紀後半になって

盛んに大型の前方後円墳(墳丘長60m以上)が関東で築造される。

 前方後円墳は全国で4700基(2000年時点)確認されているが、

関東の千葉、茨城、群馬の合計は1576基(34%)と圧倒的に多い。

中でも千葉県は733基と断トツに多い。又大型の前方後円墳の総数

も東国が近畿圏の3倍も多く、これらの被葬者群が東国運営の根幹

を成し、中央の首長と親効関係にあったとみえる。

 千葉県には約12000か所の古墳が確認され、そのほとんどが

房総半島に集中している。

主な古墳群は

〇公津原古墳群と龍角寺古墳群、ともに100基以上で古代の印旛郡

 と成田市周辺にあり、「県立房総のむら」として大きな公園となっている。

〇祇園の長須賀古墳群にある金鈴塚古墳(木更津市)

 がある。

2訪問古墳

①金鈴塚古墳

 千葉県木更津市、6世紀後半の前方後円墳、全長100m、横穴式

 馬来田国造一族の墓で、石は埼玉県寄居町付近から運ばれており、

 埼玉の有力者と関係があった。飾太刀の出土数は日本一で、金の

 鈴(1cm)5個出土している。

 金、銀の装飾がついた飾太刀は大和政権の中枢工房で製作され、

 各地の豪族に配布されたもので、20振りが出土しました。これは

 各種の武器、装身具の中で「最も権威の高い持ち物」の一つです。

 また多様な馬具と鉄鏃を含め多くの出土品がある。

出土品展示の博物館がある太田山公園の金の鈴

のモニュメント

          博物館入口

近くにある金鈴塚古墳、ほとんどが削り取られ

横穴石室の部分だけが残っている

           横穴石室

     復元図 全長100m

 埼玉県寄居町から荒川を使って運ばれた石

  (赤点から黒点)

      金銀の飾太刀の柄

         各種の馬具

 なまえの由来の金の鈴、1cmで錆がなく

 製作当時の輝きがある、金はすごい

2-2龍角寺古墳群(県立房総のむら)

 千葉県印旛郡栄町から成田市周辺に6~7世紀の114基の

古墳があり、大きな公園として整備されている。

    昔の街並みも整備されている

   出土品展示の博物館、立派です

          出土品の埴輪

            鏡と弓矢

岩屋古墳、日本最大規模のピラミット状の方墳

(一辺80m)、横穴式、中央の葛城一族との

結びつきが強かった

 浅間山古墳、7世紀初、前方後円墳、横穴式

 全長70m

龍角寺跡、7世紀後半、この地域の豪族が仏教

を取り入れて「氏族の寺」として創建され、東国

最古級の寺院で、本尊の薬師如来座像は国重要

文化財で白鳳仏として有名

        龍角寺境内塔の跡

        房総のむら案内図

3まとめ

 房総半島は海洋性の気候で温暖湿潤で、半島は

太平洋に突出し、西に東京湾、北に香取の海に囲まれ

ています。この水上交通が発達した地を目指して、古代から

人、物、技術などが運ばれたようです。

 この地には有史以前から人々が住み始め、3世紀後半頃

から古墳が出現し始める。そして5世紀中頃には「王賜る」

と記された鉄剣が出土した稲荷台一号墳(市原市)が出現し、

県内に豪族を中心とした勢力(国)が出来た。これらが西方

勢力(大和政権等)と結び、地方豪族に対する中央集権化

が進んだが、6世紀までは古墳を造営できる勢力は限定的

であった。しかし、6世紀後半になると爆発的に古墳は増加し、

大型古墳の造営も増え、さらにおおきな勢力が出現するこ

ととなる。これら地方豪族の発展に対し興味深い。