今回在宅看取りが出来ましたが、その在宅介護の経過について、改めて思い返しています。



 介護に向けた我が家の用意が整ったのは、退院の前日でした。

 予め自宅の平面図を作成して渡していた事もありますが、福祉用具屋さんは的確に機材を運び込み数時間で受入れ準備は済みました。

 用意した手摺り棒の内、一本を持って帰った以外は、ほぼ福祉用具屋さんが予め想定した内容の通りでした。




 介護ベッドは、状況によってベッドの使い方も変わるので、3モーターを選んでおいて良かったと思います。

 また手摺り棒の設置は、なぜこの位置に?みたいに思いましたが、母親の歩行が難しくなる中で、逆に設置した意味が理解出来たりしました。



 在宅介護を始めた4月末時点では、下図中で母親は「1人でお風呂に入る事が大変になってくる」辺りでした。

 自宅のお風呂で、湯船に入って立ち上がれなくなった事があり、以降はシャワー浴のみになりましたが、早期に訪問入浴を検討すれば良かったかも…と、今では思います。


 5月の中旬には1人でトイレに行くのが大変になって来て、同月下旬には食べなくなり、寝る時間が多くなりました。日にち単位で様子が変わった時期だったと後から思います。


 6月に入って薬や水を飲むのが難しそうになってきて、6月3日から医療用麻薬の使用が始まり6日に、子供達3人の看取る中で旅立って行きました。

(先日も大井さんのブログに出てましたね。小金井市公式WEBの看取りのパンフレット)

 



 同様に「いまどこなのか」の図からでは、4月20日時点で左の赤い矢印(大学病院からもホスピスへの打合せ指示有)で、4月下旬に薄紫矢印、5月下旬には濃い紫色矢印を越えた様に感じています。

 その頃在宅診療医からも、再度ホスピスの提案が有りましたが、既に在宅で看取る気持ちでいたので断っています。

(今どこツールの図。以前にたまたま大井さんのブログを見ていて、知っていました)



 この「いまどこなのか」の図を初めて見た時に、まだ食べれる時期が図中に2つ重なって存在して、なんか判り難い図とも思いましたが、今では理解出来る気がします。


 がんと認知症・老衰では、まだ食べられる時期に違いが有ると言う事で2つ入っていると思います。

 がんの場合(図中の実線)では、身体の機能がある時期から急に落ちる事を示していて、食事も「まだ食べられる時期」を早い時間で通り過ぎてしまい、身体機能も急激に衰えながら、本当に食べられない時期になり、死を迎える。

 多分、認知症や老衰(図中の破線)では、相当前から身体機能が落ちて来て、食事も長い期間をかけて徐々に「まだ食べられる時期」を通過していき、本当に食べられない時期になり、死を迎える事を示した図なのでしょう。

(正解な理解には、作者の著書を読んでください。

その時期に合わせた介助の関わり方が説明されていると思います)




 今回の私の自宅介護生活を振り返れば、正直な気持ちとして各段階の病状変化に、日々介護していた私が殆ど気付かず、隔週で見舞いに来た妹から指摘されて気付く事が多かったです。

 そんな状態で、介護する自分の気持ち優先して、自宅介護をしたかも…と言う反省があります。

 不応性悪液質(浮腫みや腹水と共に痩せ細っていく)と思っていて、「血液内の養分が減るから水分が浮腫み出る」→それなら栄養を沢山摂らて浮腫みを減らす…なんてさえ考えていました。


 離れて住む妹が退院以来、見舞いに来る度に母親の衰えを感じ、5月後半では「危機感を感じる」とさえ言い出して、ようやく私も病状の段階の変化として、考えられる様になっていきました。




 後から思えば、自宅介護が始まった4月末から5月中旬過ぎまでは、私は介護生活のペース作りに専念していました。

 逆に言えば母親の身体機能の低下や食事量の変化に、割と無頓着でいる事が出来ました。


 5月の連休後、訪問診療医が診療日を隔週から、毎週にしたいと言い出した時点で、訪問診療医としては状況を正確に判断していたのかもしれません。

 一方で私は残念な事に、状況変化にピンと来ておらず、このままいつまでも続く的に、自分の考える介護の日常を母親に強要していたのかもしれません。



 しかし、5月の中旬を過ぎる頃からは、入浴どころかシャワーが難しくなり、ベッド上で身体を起こしている時間が減り寝ている時間が増え、気づいた時には、訪問入浴すら頼めない病状になっていました。



 食事の量が減り、ベッドからの自主的な移動が減り、会話の声量が小さくなり、トイレへの移動が厳しくなり…など、数日単位で状況の変化(衰え)を感じられる様になりました。

 特に5月中旬以降の変化は何日頃からと、日付単位で判る変化で変わって行きました。


 しかし、母親の変化を病態の変化と受留られるまでは、「食べなきゃ良くならない」など、自分の感覚だけで、食事を迫っていたかもしれません。

 知人の「本当に食べられないんじゃないか?」と言う言葉を、素直に聞けてはいませんでした。



 今回「病院よりは自宅がいい」と選んだ母親の思いに、一応は合わせる事が出来ましたが、病気の状態に合わせた看護の観点では、ホスピスに及ばなかったのかもしれません。