船の情報も電報で伝えられた
択捉島の生活は、定期船の運航と深く結びついていました。函館の船会社から「マツヤママル ハコダテ シュツコウ」「シベトロ ニュウコウ ヨテイ」といった電報が郵便局に届くと、それを回漕店へ配達します。回漕店では、船の入港予定を黒板に書き出し、村人に知らせました。船が来る日は、港に多くの人が集まり、内地から来る人を迎えたり、荷物を楽しみに待ったりしました。
冬の郵便は人が運んだ
夏のあいだは定期船で郵便が運ばれましたが、十二月から四月にかけては流氷のため船が来られなくなります。
そのため冬の郵便は、逓送(ていそう)と呼ばれる方法で運ばれました。
これは、人が郵便袋を背負って雪の道を歩き、次の地点へ渡していく方法です。
郵便は太平洋側の港に陸揚げされ、そこから留別→紗那→別飛→幌筵→曽木谷を経て蘂取まで運ばれました。直線距離でも約一、〇○○㌔という長い道のりです。逓送ていそうの人々はかんじきを履き、深い雪の山道を歩いて郵便を届けました。
島の暮らしを支えた通信
このように、択捉島では 郵便、電信(電報)、電信為替、逓送といった仕組みによって、人々の暮らしが支えられていました。
遠い島であっても、郵便局は内地と島をつなぐ重要な窓口だったのです。参考資料「蘂取ものがたり」「われらの北方領土」