歯舞群島



赤い部分が

大正4年に出来た

歯舞村


根室半島の先端と歯舞群島を含めます


住所は

花咲郡歯舞村


タコ漁、えび漁、ホタテ漁

缶詰工場

そして、昆布がたくさんとれました

戦前、日本一の水揚げ高を誇り

中国にも輸出していたのです


拾い昆布でも十分生計がたてられ

ヨウ素を作ることもできました


歯舞群島は歯舞諸島とも

呼ばれていましたが

平成20年に地図や教科書で

統一するために

『歯舞群島』と定めました


終戦後の昭和20828日に

択捉島留別村からロシア人が上陸し

その後

四島は法的根拠なく占領されています

今も実効支配は77年間続いています


そして、昭和34年に根室市と合併したためにいまでも歯舞群島は根室市の一部になったままです


1956年、日ソ共同宣言が署名され

ソ連は歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すことに同意しました。

ソビエトは歯舞群島と色丹島の人はソビエト本土返しました。

でもこの時に国後島、択捉島の日本への変換が未解決だったため、平和条約は結ばれていません


日本に島が返ってくる

タイミングが消えてしまいました


現在は

歯舞群島に人は住んでおりません