根室市の開拓に貢献した人




松本十郎(アッシ判官)松本判官が属官、医者村上玄朴、大工、佐官等と東京府移民130名を引き連れて根室開拓の足を踏み出したのが明治210月でした。

引連れて来た移民は東京府下で募集した浮浪人、乞食と言う者達が多く、その苦労は大変なものがありました。

判官が開拓所を設けると同時に病院、監獄を建てた。監獄を建てたと言うのが、いかにも松本判官らしく、その移民の質の悪さが分る気がします。


明治三年六月、根室、花咲、野付を東京府が受け持っけもつ事になった。その為松本十郎は時の長官東久世より76日付をもって函館帰還を命ぜられた。


判官は即時此の案に反対し、時の開拓次官、黒田清隆に直々談じ、清隆も職を賭しての判官の心意を受け入れ、此の件を取消させたひたすら開拓の情熱に燃え、後年その著「根室藻塩草」にその根室に対しての愛情が切々と書かれている。

大正五年1127日山形県鶴岡にて死去しました。