琴似神社の境内にある
屯田兵村兵屋は
北海道の有形文化財に指定されています




建物は

当時のままの移設・復元をしています





明治時代は

北海道本土や北方四島と千島列島の開拓を進められた時代でした。


屯田兵制度は、明治政府が北海道の開拓と他国の侵略に合わないよう

北方警備を主な目的として

北海道の各地に組織的・計画的に移住・配備していくことを内容とした制度です


明治2年(1869)に「開拓使」という役所を置き、それまでの「蝦夷地」を「北海道」に改名されました。


明治4年(1874

屯田兵制度を導入することを決定し

黒田清隆の建議によって

1873(明治6)年12月25日に制度実施が決まりました。

根室市に清隆町がありますが、黒田清隆さんの名前から取って付けられています


明治8年(1875)には

一陣として屯田兵198名家族も含めて総勢965人が入植しました。

琴似の屯田兵は主に

旧仙台藩士や旧会津藩士などの士族が

本州からやってきて労働者を道内各地や北方四島に配置しました。




屯田兵制度に基づき

全道38の兵村を形成し

農業や自治の面で北海道発展の礎を築いた。 

人口増加を背景にした北海道における屯田兵制度は1904(明治37)年9月に廃止されました。


琴似は屯田兵発祥の地です。

明治7年に建てられた兵屋番号140番は

39年琴似神社境内に移設復元し

建物は北海道指定有形文化財に指定されています


屯田兵は北方四島にも

深い縁があります