択捉島蘂取村

カモイワッカオイの標柱2本目






大日本地名アトイヤ標柱

択捉島蘂取村の標柱二本目の物です




近藤重蔵・最上徳内らが

建てた最初の標柱は

寛政10年択捉島タンネモイに


寛政12年択捉島蘂取村

カモイワッカオイに

建てられました




安政6年(1859年)

この頃択捉島蘂取村は

仙台藩の管轄になっていました


千島を視察し

この島を

守備していた仙台藩士が


1番最初に

近藤重蔵と最上徳内らが建てた

『大日本恵登呂府』

標柱(寛政12年)は

60年余り時間が経ち

痛んでいたようです



カモイワッカオイに

再建することにし

『大日本地名アトイヤ』と書いた

標柱を立てました


カモイワッカオイの

地名は択捉島蘂取なのですが

その土地の名前など

勉強が不十分であった為

この標題とし

建てました


※アトイヤとは

見晴らしのいい岬を呼ぶ時に使います

国後島にアトイヤ岬があります


1875年(明治8年)

湯地定基(ゆちさだもと)

開拓使吏員

時任為基(ときとうためもと)らが

千島方面へ出張した時に

『大日本地名アトイヤ標柱』を

函館に持ち帰りました


択捉島蘂取村の

カモイワッカオイに


『大日本地名アトイヤ』標柱が

建てられていたのは

わずか16年間になります





函館中央図書館提供

※画像無断転載禁止


持ち帰った


アトイヤ標柱の実物の写真です


人と並べてみると大きいと感じます




提供・国立歴史民俗博物館