一、共同体で支える半月前からの準備

三月の彼岸会で行われる「団子撒き」は、お寺の主な行事の中でも、子供たちにとってとりわけ待ち遠し

い大イベントであった。この日のために、半月も前から村の女性たちは団結し、厳しい寒さの中で「そり」

を引きながら檀家を一軒一軒まわった。米や食材の寄進(神社や寺へ物品を寄付すること)を求め、当日に

使用する大量のお膳や食器を村中から借り集めるためである。まだ雪深く自然の厳しい三月の択捉島におい

て、この行事は単なる宗教行事の枠を超え、村全体が協力して作り上げる一大共同作業の場であった。


二、知恵と工夫を凝らしたカラフルな団子作り


彼岸会当日の朝は早くから準備が始まる。せいろをストーブにかけ、団子やこれに添えるお菓子を次々と

蒸かしていった。作られる団子の形は実に多彩で、花をはじめ、ウサギ、猫、犬、鳥、魚など、動物や自然

を象った可愛らしい造形が手作業で生み出された。

当時は既製品の少ない時代であったが、島民たちは身近な素材を用いて鮮やかな色付けの工夫を凝らし

た。その工夫は以下のようなものであった。

1色彩 使用された素材と工夫

赤・ピンク 食紅を使用。上新粉や白玉粉に混ぜ合わせることで、愛らしい桃色へと変化させ

た。

緑色 身近で採れる葉物野菜をすり潰すなどして、自然な深緑色を表現した。

黄色 食用菊を巧みに用い、鮮やかな黄色を引き出した。

黒・茶系 海の恵みである昆布などを工夫して用い、落ち着いた色合いを添えた。

これらの知恵により、本堂には子供たちの目を楽しませる、非常にカラフルで華やかなお団子が出来上

がっていった。


三、厳かな法要と今も忘れない精進料理

当日は、本堂に縦横二メートル余りにも及ぶ大きな「大涅槃絵図(だいねはんえず)」が掲げられた。全

校生徒が本堂の畳の上に端座し、和尚さんの長い読経が始まると静かに聞き入った。しかし、時間が経つに

つれて子供たちを襲うのは激しい「足のしびれ」であった。次第に心の中はそのことばかりで一杯になって

しまうのも、また子供らしい素直な思い出の一コマである。

厳かな法要が終わると、参列した一人ひとりに丁寧な会席のもてなしがあった。お膳に並べられたお料理

は、彩り豊かな精進料理であり、その美しさと美味しさは、戦後何十年を経た今になっても決して忘れるこ

とのできない素晴らしい味覚の記憶として残っている。


四、熱狂の「団子撒き」と子供たちの躍動

そして、誰もがお待ちかねのお寺の大イベントである「団子撒き」の時間を迎える。大人の男女数名が祭

壇の前に立ち、一斉にだんごを撒き始める。最初は行儀よく座って拾っていた子供たちも、次第に熱が入

り、膝を立てて前に風呂敷を大きく広げ、団子が落ちてくるタイミングを今か今かと待ち構えた。

女の子たちは、一つでも多くの団子を得ようと、エプロンの裾を大きく広げて夢中になりながら本堂を走

り回った。団子を撒く担当になった親は、自分の子供を見つけてはそこを目がけて撒こうとするものの、兄

弟姉妹が多い家庭の子供たちの機敏な動きと団結力には、到底かなわなかったという。畳の上で転んでしま

う子、友達同士で激しく取り合う子、拾った数を誇らしげに競い合う子など、堂内は終始熱気に包まれた。

あまり多く拾えなかった子供であっても、「団子撒き」の凄まじい賑わいの中にいるだけで、自然と笑顔が

こぼれ、本堂には明るい笑い声が響き渡り続けた。


五、ばばちゃんの怒りと素朴な信仰心

この微笑ましい賑わいの中で、少しユーモラスな一幕もあった。鈴木氏の祖母(ばばちゃん)が、拾い集

めた団子の中に「草履(ぞうり)」の形をしたものを見つけた時のことである。祖母は「神聖な祝い事に、

足に履く草履を模るなんて罰当たりめ」と本気で怒っていたという。犬や猫などの愛らしい動物は許されて

も、足を乗せる履物を仏事の団子にすることへの抵抗感は、当時の人々が持っていた伝統的な禁忌の感覚

や、神仏に対する実直で素朴な信仰心の表れであったと言える。


【編集後記】

厳しい北の自然に囲まれた択捉島・蘂取村ですが、この「団子撒き」の記憶からは、人々の温かい生活の知恵と、子供

たちの弾けるような笑顔が鮮明に伝わってきます。コミュニティ全体で行事を支え、喜びを分かち合っていた戦前の豊

かな島民の暮らしを後世へ伝える貴重な歴史資料です。