華厳は六界を描く
欲界 天界もまた六欲天であった
四王天・忉利天 ・夜摩天・兜率天 ・楽変化天・他化自在天
多聞天(毘沙門天)、持国天、増長天、広目天
須弥山の頂上、帝釈天 天部や神々が住むとされる地
死者が往くべき光明と歓楽
彌勒菩薩が住するとされる 菩薩修行の場 お釈迦様はここから人間界に降下したとされる
すでに自由を得て 意のままに相を表す
そして他化自在天 何故に波旬 破壊神のシバに結び付く
華厳会品対照表 吉田叡禮中西
そもそもサンスクリットの華厳経の完本はなかった
『華厳経の成立流伝に関する古伝説 -上中下三本説について-』の中西龍峯の論文がある
智撮、法蔵、澄観等による編纂 そして私たちの読む国訳大蔵経の中の『華厳経』である
私の雑な頭 言葉拾いの流し読み ただ解釈学 感情移入があった
龍樹の「十地品」(『十住毘婆沙論』) 何か皮肉に感じる
そして 初めの寂滅道場
地居天、空居天ー天界の累層世界
終わりの逝多園林
何故か人間界において仏の世界が描かれた
応身の釈迦如来 「無記」
ただ四諦と八正道 十二因縁論である
そして
「されば、阿難よ,ここに自らを洲とし、自らを依所として住せよ、他を依所とすること勿れ。法を洲とし、他を依所とすること勿れ。」
「放恣ならずして 決定して正覚に到達する目的を完遂せよ」
その人間界において
摩竭提國尼連禅河菩提樹下寂滅道場 釈尊正覚のとき
盧舎那仏の台座に描かれている三千大千世界 「蓮華蔵世界海図」が開く
蓮華蔵世界海 そこに仏国土が浮かぶ
まさに華厳の開く世界であった
「もろもろの金剛力士
もろもろの道場神
もろもろの龍神
大地自然の神々
アスラ、ラーフラ、キンナラ 魔界の王
三十三天王・夜摩天王・兜率天王・化楽天王・他化自在天王 地居天・空居天 の天王
もろもろの天子が
お釈迦様の座に集まり
お釈迦様の正覺を喜び礼賛した」
華厳経の名辞はそこに由来する
そして終わりの逝多園林
善財童子 文殊菩薩の導きでの 善知識の五十三次
そして普賢菩薩の手引き
「善財童子………彌勒菩薩の威神力の故に、もろもろの楼観の中に自ら其身を見る。
………或は四天王と為りて一切衆生を饒益し、或は帝釋と為りて五欲を呵責し、或は夜摩天王と為りて不放逸を讚じ、或は兜率天王と為りて一生の菩薩の功徳を讚歎し、或は化樂天王と為りて自在の法を讚じ或は魔王と為りて無常の法を説き、或は他化自在天王と為りて菩薩の荘厳せる化身を讚歎し、或は梵王と為りて四無量心を讚歎し、或は阿修羅王と為りて………、或は閻羅王と為りて………、或は畜生と為りて種種の身を受け、為に法を説きて其癡闇を除き、………。或は変化三昧を正受して、一一の毛孔より化身雲を出したまひしをみる、謂ゆる天身雲、もろもろの竜、夜叉……聲聞、縁覚、如来身雲なり。………」
―[入法界品第三十四之十六]―
かくして善財童子は 一心の菩提心なるを解り 化のまた菩提心の変化三昧なるを解り
「普賢の行ぜし所のもろもろの大願海を究竟し、………一切仏と等しく、一身一切の世界に充満し、刹も等しく、身も等しく、行も等しく、正覚も等しく、自在力も等しく、………仏の所住も等しく、大慈悲も等しく、不思議の法門自在力も等しかるべし。」
―[入法界品第三十四之十七]―
「無量にして思議し難き彼の心、一切の色を顕現して各各相知らず」
―[夜摩天宮菩偈品]―
「三界は虚妄にしてただこれ一心の作(さ)なり、十二縁分はこれみな心による」
― 同上 「十地品」―
華厳経を『唯心偈』に理解する学僧がある
ただ
「如心佛亦爾 如佛衆生然」
「心造諸如来」
まだ人間の心を残す夜摩天
人間界にあって 「神は心の中にある」とはよく言われる事柄である
しかし
心とは何か 仏教におけるその概念規定は無い 解釈とその選択
龍樹から世親へ 「唯識論」 十二縁起論において「識」は述べられている
識にして「名色」であった
ただ無の逆進において「名色」も「識」もない
無にして空の論理
非有想非無想の無色定處にあって法界である 場の論理 空である
その位置のおける意味とは何か 格子場とゲージ理論
龍樹は 空の義 相依・相待とした 相依・相待にあって法である
無自性
華厳経を「相即相入」に解く学僧もいる
無自性
不完全性の極限の揺らぎ 量子のもつれをどのように解釈する?
『唯心偈』 人間自性の解釈 自性にあって人間一人一人の心の世界
その心の蒸留 その世界 仏も 如来もその作であった
その私の浄化 菩薩の十地品はその行の階層を顕す
地居天、空居天 六欲天はその界の累層
無自性にあって一切は仏の一心の作である そして仏の化である
一切は等しく仏の心にある それが華厳経であった
無限小にあって無限大 円在にあって完結であった
ただ「相即相入」「相依相待」にあって「空の義」 法が成る(場のゲージ理論)
「空の義」 六欲天における菩薩の行である 「十地品」その階層を顕すが
善財童子 一片の善心の行脚 文殊,普賢の両菩薩の縁起
もろもろの楼観の中に自ら其身を見る
或は四天王 或は梵王 或は畜生 もろもろの竜、夜叉………聲聞、縁覚、如来身雲
悉皆仏性 一切等しく吾である