一般人の苦労話なんて誰も知りたいと思わないでしょう。


人それぞれ、少なからず苦労しながら、不満を持ちながら生きていることだと思います。

私がブログを投稿しているのは、上手く世の中を渡っていけない自分のもどかしさをどこかに吐き出したかったからです。

もし同じ境遇の方がいたら、共感してもらえたらいいなと思って、ハッシュタグをつけました。

誰も読むことはないかもしれませんが、続き投稿させてもらいます。


同じグループ内の別の派遣会社に異動した後に紹介された派遣先は、化学系の会社での製品検査の仕事でした。

しかし、また悶々としながら3年も仕事をするのかと思うと、正直辛かったです。

見学の段取りのことで、担当から電話がかかってきたとき、つい「滅菌業務の仕事はありませんか」と聞いてしまいました。
そしたら、担当から「そうか、やりたいんだね」と言われました。
でも、「時給はあまり良くないし、遅番も結構あるんだけど…」と続きました。

私はすぐに「大丈夫です!」と答えました。
悶々とした日々から抜け出せると、自分では思ったのです。
担当は「じゃあ確認してみるね」と言ってくれました。

続きはまた気が向いたらときに…

続きです。


なぜこんなにも悶々としていたのか…。
表向きには、「千葉での経験を地元のために活かしたい」
そう言っていました。

でも、本当にそれだけだったのか。
千葉での大変な思いをしながら覚えた仕事。
良いこともあったけれど、もともとは望んで移住したわけではなく、つらい気持ちも抱えていました。

もしかすると、その経験を「無駄じゃなかった」と思いたかったのかもしれません。

千葉で過ごした11年を、無にさせたくない——
何のために秋田を出たのか。あの11年は、いったい何だったのか。

派遣でスーパーに就業して、3年が経ちました。
登録制の派遣だったため、派遣先を変えるか、スーパーの直接雇用になるか、大きな選択を迫られました。

私は、派遣会社の担当に打ち明けました。
「本当は、医療機器関係や病院の滅菌業務の仕事に就きたい」と。
この時、スーパーからの直接雇用の話はお断りしました。

エリアマネージャーも、一応どこかに営業をかけてくれるような素振りは見せてくれましたが——
結果的には、同じグループ内の別の派遣会社へ異動することになりました。

また続きは、そのうち書こうと思います。


久しぶりの投稿。


千葉・鴨川から地元の秋田に戻って、気づけば約7年が経ちました。

鴨川には11年ほど住んでいました。
鴨川に移住後は、病院で中材・滅菌業務に携わっていました。
「もう二度とやりたくない」と思って辞めた仕事です。
それでも、そこでの苦労や失敗を通して得た経験は、今でも自分の中に残っています。

病院の仕事を辞めてからの1年半は、旅館で働いていました。医療とは無関係の仕事をしながら、どこかモヤモヤした日々。

そんな中で興味を持ったのが「派遣」という働き方でした。旅館の仕事で出会った派遣の仲居さんは、日本各地を渡り歩きながら仕事を極めていて、その姿がとても印象的でした。

その影響もあり、「秋田に戻ったら派遣に登録してみよう」と思うようになりました。

秋田に帰ってから派遣に登録し、紹介してもらったのはスーパーの仕事でした。
登録時に「滅菌業務の仕事はありませんか?」と聞いてみたものの、「ありません」とのこと。
稼がないとやっていけないので、仕方なくスーパーで働くことに。結果的に、また悶々とする日々を過ごすことになりました。

派遣で働きながら、転職エージェントにも登録しました。
それなりに有名な病院にいたこともあり、ハイクラス向けのエージェントにも登録はできましたが、無資格でできる業務だったことや、役職に就いていたわけでもなかったため、自分には難しそうな求人ばかりでした。
正直、あまり意味はありませんでした。

自分の器の小ささに嫌気が差したのを覚えています。

また気が向いたときに、ぽつぽつ書いていきます。