入院機期間は5ヶ月半およそ200日におよんだが
同室の患者からは不思議な目、不信な目でみられた
安静時間や夜間には病室の窓から抜け出して
洞爺湖温泉町の麻雀店に入り浸り
病院食は口にしないで出前をとったり外食したりと
不良患者だったのだから顰蹙をかって当然だ
退院に際しては肉体労働を避けるようにとの注意もあって
牧場/農作業への執着は消失していた
北海道の知人は農家を斡旋した不動産会社だけだったので
そこの社長に面談、押しかけ社員になった
いわゆる現在は禁じtられている
原野商法の会社の社員として働くことになった
顧客の招待旅行にで台湾へは何度も同行した
ミニバブルの始まる頃である