トルコの煮込みキョフテとフムス。エジプトのピラフとモロヘイアスープ。南アフリカのブラーイとパップ。
美味しい食べ物に出会う度、思い浮かぶ人がいる。
祖母の妹だ。
親戚の呼び名としては大叔母(おおおば)ということになるらしいが、そんな呼び名は今ネットで調べて初めて知った。
間違いなく僕には祖母が3人いる。
そのうちの1人だ。
祖母は生涯独身だった。
容姿端麗で若い頃はそれなりにモテたらしい。
性格は正に豪快。家族皆で集まる食事のほとんどをご馳走してくれた。
とてもはっきりした性格だった。
好きな人は好き。嫌いな人は嫌い。
美味しいものは美味しい。不味いものは不味い。
少し大袈裟に言えば、そんな感情を場所を選ばずに、はっきりと口にする人だった。
何より超がつくほどのグルメだった。
色んなレストランに沢山連れて行ってもらった。
「お金」を惜しみなく使う人だった。
いや、「配る」人だった。
おしゃべりだが、それは人見知りの裏返しでもあった。
友人もごく限られた人しかいなかった。
友人として気の合うレストランの店長には、会計とは別にお金を渡していた。
お金を渡した上で、「客と店員」という友人関係を築けば、「いなくなる」「離れる」ということがない。
祖母にとって、これが心地良い形だったのかもしれない。
祖母は僕をとても可愛がってくれた。
でも、僕にもお小遣いを「配っていた」。
最後に「お小遣いを貰いに来たんでしょ」という言葉を添えて。
「違うよ」
「いいのよ、いいのよ」
明るい声でいつもそう返された。
学生だった僕は、それでもやっぱりお小遣いが嬉しかった。
「お金で繋がっている」
人に対して示す愛情の形が歪んでいた。
孫の僕でさえ、多少はそう感じざるを得なかった。
お小遣いが貰えて嬉しかった反面、内心はどこか寂しかった。
社会人1年目の冬。
祖母が急死した。
その5日前にはモリモリご飯を食べていたようだ。
愛情が歪んでいた?
僕を出迎える時の笑顔。僕の近況を聞きながら淹れてくれる暖かいお茶。ふとした時に向ける僕への眼差し。
それらは紛れもなく、真っ直ぐな愛情から滲み出ていたものだ。
ちょっと不器用だっただけじゃないか。
内心は寂しかった?
社会人1年目のボーナスで何故ご馳走できなかったんだ。学生の時に貰ったお小遣いで、何故その場でご馳走できなかったんだ。
寂しかったのは祖母の方だ。
「これは多分好きだよね!」
「これはちょっとソースがクドいかな?」
「ここのお店にはそもそも来ないよね。でもここ美味しいよ!」
なんて言いながら、日本でも海外でも、これからは一緒にご飯を食べよう。
美味しいご飯を食べることが、こんなにも喜びに満ち溢れていると教えてくれたのは、あなたなのだから。
お婆ちゃん、
日本食はたまに恋しくなるけど、海外のご飯も色んな発見があって楽しいし、何より美味しいよ!
YS
