母、逝去の後。 | ひとり娘の両親介護日記

ひとり娘の両親介護日記

アラフィフひとり娘。3年間の両親自宅介護生活とその後を綴ります。

母が亡くなった。施設に入所してから約1年。いつかは来る日と覚悟していたけれど、

こんなに早く、あっけなく逝ってしまうなんて…。悲しいのだけれど、ここ数年間の

母を思えば、やっと楽になれたんだな、とも思える。リウマチで関節が曲がっていて、

やせ細った身体は寝ているだけでも痛くて辛かっただろう。もう痛みから解放された

のだと、そう思うと正直ホッとしている気持ちもあった。

 

 亡くなった後、私たちは病室から出て食堂で待機。看護師さんから葬儀社を決めて

準備するよう言われる。そう、これからは悲しんでいる暇もない事務的な手続きが

押し寄せるのだ。葬儀社をどこにするかは、一人でぼんやり考えていた程度。一緒に

居てくれた義兄が色々と段取りを考えてくれた。2年前に姉を送り出した義兄なので

ここはテキパキと動いてくれて本当に助かった。兄とは言え、私より年下なのだけど

頼もしい。

 

 家の近くにある小さな葬儀社に決めた。すぐに迎えに来てくれることになった。

再び病室に呼ばれた。点滴などが外されて、エンゼルケアを施された母はまるで

寝ているかのような穏やかな顔になっていました。葬儀社さんが迎えに来てくれ、

病院の裏口から、主治医の先生や看護師さん達に見送られて出ていく。夕方5時。

数時間前は、こんな裏口から皆で出ていくとは思わなかったな、と。

 

 葬儀社に到着し、疲れ果てていた父は施設に戻り、翌日再び外出させることに。

そこからは葬儀社さんとの通夜・葬儀・お坊さん・香典返し・その他諸々の

手続きをどんどん決めていく。義兄さんがアドバイスをくれて、私は言われるが

ままに決めていく。通夜は明日、葬儀は明後日、家族葬で行うことに決めた。

 

 県外にいる息子は、母が危篤状態になってすぐに帰ってくるよう連絡したが、

飛行機のチケットが取れず、翌日帰ってくることに。祖母の死に目に間に合えず。

私が9カ月の息子を連れて実家に帰ってからは、ずっと母が息子の面倒を見て

くれていた。保育所に預けることなく、3歳で幼稚園へ通うまでは、家で母が

息子を育ててくれたのだ。別居から離婚成立まで1年ほどかかり、かなり心配を

かけてしまっていた。それでも行動的な母は、毎日息子をあちこち連れ出し、

自分の習い事や友達との外出にも息子を連れて行って、今にして思えば、とても

楽しく孫の面倒を見てくれていたと思う。きっとそう思う。

 

 母の思うところは、正直分からない。ここ数年はそういった正直な気持ちを

お互い話すこともなかった。いつも他愛のない天気やニュースの話くらい。

聞いたところで、きっと母は本心を私に言う事はしなかったと思う。山のように

言いたい事、思う事はあったはずだと思うけれど。

 

 長い1日だった。明日から通夜・葬儀・火葬・その後の事務的な手続きが

待ち構えているのだ。長い長い闘病、看病などをしていた人は、こういった時

本当に体力的にもかなり辛いと思う。悲しんでいる暇など与えられないのだ。