我が国は、過去、中国をはじめ様々な国の人々の貢献を受けてきた。
その方々について、調べてみる。
老人の歴史の自主研究です。
ダグラス・マッカーサーの続き
ダグラス・マッカーサーは
日本を間接統治した。
統治の一例
日本の食糧危機とマッカーサー(GHQ)の対策
1945年、終戦以降、餓死者が出るほど、日本の食料事情が悪化した。
1946年春、アメリカからの本格的な食糧援助が始まった。
• 1946年2月には、アメリカ軍の余剰小麦粉が日本に送られてきた。
• 4月から10月にかけては、合計約68万トンもの食糧が日本に届いた。
• さらに1947年・1948年には、
年間300万トンを超える食糧が次々と届けられた。
この大規模支援は、「ガリオア資金(GARIOA)」という
アメリカの援助枠組みの一環として行われた。
豆板 大豆の油を搾ったカスを自動車のタイヤのように固めたもの
アメリカでは、牛や豚のエサ 日本では、粉にして饅頭を作った。
脱脂粉乳 牛乳からバタ―を絞った残り うまくない
学校給食 この支援のおかげ! 今に続く!
・ 学校給食さえなかった私の世代
毎日、おかゆとサツマイモご飯、大根のイカ塩辛煮
疎開して来ていた児童の机から転がり出た薩摩芋が忘れられない。
現在(飽食)の子供たちは、この歴史を知るべきだ!
この時期に始まった、今では当たり前の学校給食も、
実はGHQの食糧支援がきっかけだった。
「子どもたちには、最低限の栄養を」と、
コッペパンやミルク(脱脂粉乳)などが学校に届けられ、
戦後の子どもたちの健康を守った。
GHQの支援がもたらしたもの
GHQの食糧支援は、単に人々の空腹を満たしただけではない。
• 社会の混乱や暴動を防いだ
• 日本の復興への足がかりとなった
• 民主化政策の安定的な実施に繋がった
こうした支援があったからこそ、日本は戦後の混乱期を乗り越え、
世界が驚く、経済成長へと向かうことができた。
現在、この日本の繁栄の基礎が、
マッカーサーの占領政策に始まりがあることに
気付く人は、多くないのは残念だ。
「日本の歴史上、外国人で、最大の貢献をしたのは、マッカーサーである」と
言っては、
過言だろうか?
以上で、我が国に貢献した外国人調べは、終了。
勉強になりました。

