教職は、聖職者か労働者か

    明治以降、先生は聖職者

    敗戦後、  先生も労働者

    そんな背景で、生まれたのが4%

    聖職者論

    やりがいのある崇高な使命を果たすことに

    喜びを感じ 薄給に耐える

    労働者論

    一般の会社員と同じく、労働の対価を求める

 

    明治政府は、各県に師範学校を置いた

    卒業後教職に就くことを前提に授業料がかからないのみならず

    生活も保障された(全寮制、食費いらず)ので、

    優秀でも貧しい家の子弟への救済策の役割も果たしていた。

    師範学校→高等師範学校文理科大学というコースをたどれば、

    学費無料で中等学校→高等学校→帝国大学

    というルートに匹敵する教育が受けられたため、

    経済的な理由で進学を断念せざるをえない優秀な人材を多く吸収した

               静岡師範学校 (現国立静岡大学)

    これは、教職は聖職という理念の下での政策だった

    その理念を受けついでの教育調整額4%だった

    聖職者は、無制限に勤務するという政策だった

 

    続く