初めて竜飛斜坑線に乗ってみた | Y14編成のブログ

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写真の著作権は放棄しませんが
自由に使ってOKです。

各地の災害でお亡くなりになられた方への
ご冥福をお祈り申し上げますと共に
被災地での1日でも早い復興を
心よりお祈り申し上げます。

前回の続きです。

津軽海峡冬景色歌謡碑を見て、階段国道を体験したあとは
竜飛斜坑線というケーブルカーに乗りにいくことにしました。
竜飛斜坑線は、青函トンネル記念館から出ています。
これが青函トンネル記念館駅の駅舎です。
きっぷは、こんな感じです。
きっぷを買っても、指示があるでホームに行けず
ここで待たなくてはいけません。
さて、ホームに入りましょう。
ホームに入ると、既にケーブルカーが止まっていました。
セイカン1という車両で、『もぐら号』という愛称があります。
それでは、セイカン1の車内を見ていきましょう。
まずは、乗ったときに最初に目が合う車内のドアです。
ご覧のように引き戸ですが、手動ドアで係員が手で開閉しました。
乗務員室の様子です。
乗務員室の仕切りの上側に
パイオニア製の車内スピーカーがありました。
走行中の注意事項です。

天井の様子です。
ご覧のように、非冷房となっています。
窓は上側が網目になっていて、そこから風が入ります。
座席のモケットは、紺色です。
最後に、車内全景です。
駅に止まっているときは、風門が閉まっています。
ゆっくりと、風門が開きました。
風門が開くと、ケーブルカーが動き出しました。
少しだけ前面展望を撮ってみました。
ケーブルカーは、山を登り下りするのが一般的ですが
ここは、地下深いところまで下っていきます。
また、Youtubeで他の方がアップした
前面展望の動画を見たら、道中は一定間隔で
『ピポーン』という音が鳴り響いていましたが
私が乗ったときには、そのような音は一切鳴りませんでした。
体験坑道駅に着きました。
車内放送は、発車前に男の声が少し流れただけで
あとは一切流れませんでした。
駅名の様子です。
ここは、世界一深いところにある駅です。
ケーブルカーを降りたら、ガイドさんを先頭に
みんなで地下を見学します。
ケーブルカーの路線から離れた所に、線路が敷かれています。
ここから、体験坑道に入ります。
最初に見たのは、水平人車です。
実際に使われた、建設道具です。
道具を持った作業員の人形もありました。
ギャラリーを見ていくと、青函トンネルの建設は
かなりの手間と労力が、かかっていたことが分かります。
難航を乗り越えて完成した青函トンネルも
開通から既に30年を迎えました。
順路を進んでいくと、このような門がありました。
奥にある扉は、青函トンネルの竜飛定点と繋がっています。
近くに、竜飛定点が竜飛海底駅だったころの
写真が掲出されていました。
この近くから、さっき見学した所を眺めた様子です。
しばらくしてから、写真左側の通路を進みました。
この分かれ道を左に進んで、体験坑道駅に戻りました。
体験坑道に着いても、まだケーブルカーは来ていませんでした。
少し待つと、さっき乗った車両がやって来ました。
それも当然、このケーブルカーは特殊で
1台の車両が往復しているだけなのです。
体験坑道駅を後にする様子です。
青函トンネル記念館駅に戻りました。
車内放送は、一切ありませんでした。
地上側のお顔を撮ろうとしてみましたが
どうやっても横顔が精一杯です。
体験坑道駅のホームは、地下寄りのドアの周りしか通行出来ないので
地上側のお顔をちゃんと見るのは、不可能と言っていいでしょう。
車番の様子です。
駅名板の様子です。
セイカン1をもう1枚撮影して
青函トンネル記念館を後にしました。
青函トンネル記念館を出たあとは、展望台に寄りました。
青函トンネル記念館を眺めた様子です。
竜飛崎灯台を眺めた様子です。
バスの時間の都合上、灯台に行くのは断念しました。
展望台を後にして、慰霊碑に寄りました。
津軽海峡冬景色歌謡碑をもう一度見てから
竜飛崎灯台からバスに乗って、三厩駅に戻ることにしました。
車両は、行きと全く同じローザでした。
バスは出発時間になるまで、車内スピーカーから
野球中継のラジオが流れていました。
三厩駅に着いても、まだ列車は来ていませんでした。
しばらく待っていると、列車がやって来ました。
行きと全く同じペアです。
この列車は1日に1本だけの青森直通便なので
これで青森まで行きました。