24/6/16 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

死を通した生を伝える

私の肉体は病のために死を宣告されている。それゆえ、私の精神作用を通して次の世代に言葉を紡いでいく。肉の死は次の生への継続であり、リレー競技のように、生命は受け継がれていく。それは形(肉による私の生涯の物語)ではなく、聖霊のリレーであり、その生涯を中心で支えてくれていた存在への継承であり、神の御心を知る上て重要なバトンということなる。たが、多くの人々はバトンの存在を知らずに生涯を終えていく。

 

私の民よ、私の教えを聞き、私の口の言葉に耳を傾けよ、私は口を開いて箴言を、いにしえからの言い伝えを告げよう。私たちが聞いて悟ったことを、先祖が私たちに語り伝えたことを。子孫に隠さず、彼の世代に語り継ごう。主への賛美、主の御力を、主が成し遂げられた驚くべき御業を…詩編78:1~4

 

イエスキリストの生涯は、私たちの社会との相対を語っている。相対とは、対立であり、その対立を通した和解の道とは何かを、一人一人の精神作用という、隠されれた思考空間を与えてくれいる。考えることとは、精神の運動であり、自らの肉体(感覚)との相互作用ということになる。だが、世が提供するものは、思考停止(内なる死)を通した物象化(デジタルへの集積化)であり、私たちにとって死(神への不信)を通した生という生き方を強制させられていく。

 

子らが神に信頼を置き、神の御業を決して忘れず、その戒めを守るためにに、先祖のように頑なな反抗の世代となにないように、心が確かに定まらない世代、神の不忠実な霊の世代とならないように…詩編78:7~8

 

自らの正しさを語る人々に注意しなければならない。彼の正しさの根拠は社会であり、人類の過去の集積物という前提によって自らの正当性を主張する。人の口は不信(人類の歴史、白雪姫の毒リンゴ)を語り、私たちは彼らの表現に対して〝沈黙〟を通して対抗する。表現(相手)と沈黙(自分)の間(無関心)という場に彼らが気づくとき、そこに置かれているのが〝バトン〟という聖霊であり、聖と俗の間を結ぶ〝通路〟として機能する。無関心(サウンドオブサイレンス)という空間は、無意識という神の領域(メタイデオロギー)であり、デジタル(ロボット思考、単一なイデオロギーAIの文章)では知ることができない。

 

  • 構造主義という名称から、イデオロギーの一種と誤解されがちであるが、今日では方法論として普及・定着している。あらゆるイデオロギーを相対化するという点でメタイデオロギーとも言える数学言語学生物学精神分析学文化人類学社会学などの学問分野のみならず、文芸批評でも構造主義が応用されている…ウィキペディア
  • 簡単に説明できないが、理解して使っている知識が存在する。誰かの顔を見分けることは、その人の写真を見せてもらえば覚えることができるが、諸々の特徴をいかにして結び付けているのかについては説明しにくく、これが暗黙知である。たとえば、自転車に乗る場合、人は一度乗り方を覚えると年月を経ても乗り方を忘れない。自転車を乗りこなすには数々の難しい技術があるのにもかかわらず、である。そしてその乗りかたを人に言葉で説明するのは困難である。それゆえ知識から人間的要因を「恣意的」として排除しようとすると、決して操作に還元しえない「知る」という暗黙の過程をも否定することになり、知識そのものを破壊してしまう…ウィキペディア

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