24/6/14 | クリスチャンリンゴ事件簿、アッパールーム編のブログ

生と死の間

世は肉と精神が分離された言語(見える世界)を問題にする。それは物の世界であり、肉の外(世の出来事と物事)という現象の世界(デジタル表示)ということになる。私は自らの肉(外、病気の我が身)によって苦しめられることになる。それによって私の存在が精神的なものであることを神によって示される。私が社会システム(医療機関)に検体(科学的な実証)の肉(物体)としてのデータ集積物として見られていることになる。

 

(パウロの回心)はキリストと結ばれていた一人の人を知っています。その人は十四年前、第三の天まで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許さない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。このような人のことを私は誇りましょう。しかし、自分自身については、弱さ以外に誇るつもりはありません…第二コリント12:2~5

 

私にとって信仰は精神と肉体の一致であり、我が身(ロゴス)の存在を人に示していく。それは外の言葉(理屈)ではなく、肉の言葉(生き方)を使った個性(パウロ)ということになる。それはイエスキリストの十字架(受難物語)という肉を実感した精神作用を人に示していくことになる。私が病気になり、自分の言葉()がいっさい使えない状況に置かれたことによって、内なる世界が充実していくというパウロの言葉に納得することができる。

 

すると主は「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。たから、キリストの力が私の内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、私の弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、私は弱いときこそ強いからです…第二コリント12:9~10

 

今、私は病を通してキリストの言葉が明確にされていく。それはパウロの回心のように死(肉、弱さ)を通して、天からの強く働く精神作用ということになる。世の人々(見える世界)はパウロの失神という意味としてしか受け取らない。

 

  • 平成29年6月14日に公布された医療法等の⼀部を改正する法律(平成29年法律第57号)により、医療法(昭和23年法律第205号)と臨床検査技師等に関する法律(昭和33年法律第76号)が改正され、検体検査業務を行う医療機関や検体検査業務を医療機関から受託して行う衛生検査所等における精度管理の基準が明確化され、また、医療技術の進歩に合わせて検体検査の分類を柔軟に見直すため、検査の分類を法律ではなく厚生労働省令で定めることが規定されました。上記の検体検査に係る改正規定は平成30年12⽉1⽇に施⾏されました。

隠喩への動機

君は秋の木陰が好き、なぜってすべてがなかば死んでいる。風はまるで足をひきずるように葉陰を抜け、そして言葉が意味もなく繰り返される。同じように、君は春にしあわせだった。四半分の物の半分の色で、ちょっぴり明るくなった空、消えてゆく雲、たった一羽の鳥、ぼんやりした月、ぼんやりした月が照らすぼんやりした世界。表現し尽くすことなどあり得ない物の世界。そこで君自身は全き君自身であったことなどない。そうなれたくもないし、そうあるべきではない。

変化に浮き立つ気分がほしい。隠喩への動機が

真昼の重みにたじろぐから、存在のイロハに、はつらつとした健康な気性、赤と青のハンマー、強烈な音、暗示に逆らう鋼鉄、鋭い閃光、生命の、傲慢な、破壊的で、支配的な何か

…ウォーレス・スティブンス

24/6/8ブログ参照